~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

全ての前提は "在る" しかない

自分らしく【在る】状態からズレると、

たちまち全てがバランスを取りはじめる。

 

それは瞬時に、得も言われぬ速さで完璧に動き出す。

 

その動きは多種多様で、

涙、怒り、虚無感、寂しさ、生きていることへの疑問などを肌身で感じる。

 

最初は何が起こっているかわからないが、よくよく眺めてみるとわかる。

 

自分の存在そのものに疑問、違和感がわいている時は、

もれなく【在る】状態からズレている時だと気づく。

 

自分らしく【在る】とは、

そのままの自分をまるっとOKしている状態。

 

誰かの何かの役に立っても立たなくてもOK

好かれても嫌われてもOK

できてもできなくてもOK

何をしても何をしなくてもOK

 

自分が【ただ在る、今ここにいる】という状態にどれだけOKを出せているか。

 

出せるのが良くて出せないのが悪いのではないのだが、

無価値感を感じやすいわたしのような人間はすぐ【在る】状態からズレやすく、

ネガティブな感情に引っ張られやすいのでバランスをとる際には1つの手段になる。

 

自分が【在る】こと自体に不安や疑問を感じ、

誰かに自分が存在していい許可や理解を求めてきた人は、

何かや誰かに対価を払わないと存在してはいけないような気がしてしまう。

 

『自分は自分でいい!大丈夫!』

とポジティブな言葉を頭で唱えていても、

オリジナルのネガティブ土台を築いてきた以上、それはテンポよく繰り返す。

 

その度に心身共に倒れてしまうのも面白い体験だが、

そろそろしんどい続きで飽きてきたなら【在る】だけにフォーカスして、

どれだけ自分を野放しにできるかやってみるのも面白い。

 

【在る】だけでいいのを思い出すために "全て" を俯瞰するのもいい。

 

この世なのかこの宇宙なのか、この意識なのか、言葉は何でもいいけれど、

ここで生きている、生存し続けているというのは、全てと繋がっているからだ。

 

木々が作る空気、太陽が与える温度と光、豊富な食べ物としていただく命。

自分が生きるために必要な全てが、"全て" と一致しているから生きているのだ。

 

"お通じ" なんて言葉があるように、全てと通じているから全てが巡るのだ。

 

こじつけのように聞こえるだろうが構わない。

これでも案外いいことに気づいたと自分では思っているんだ。(*´ロ`*)笑

 

 

何が言いたいかまとめると、

 

自分で在る状態からズレた時は、

【1人じゃない】ことを思い出すと楽だよってこと。

 

この瞬間、生きていることが全てと繋がっている。

それを思い出すだけで静かな安心を感じられる。

 

生きている意味とか役目とかで深刻にならず、ただ自分らしく生きる。

 

全ての前提は "在る" しかない。

 

仮に、身体の1つの細胞が、

 

『ここで細胞として生きる必要があったのか?』と聞いてきたら、

 

『必要だから生まれた。』としかわたしは答えられない気がする。

 

全ても同じ気持ちだろうか?

まァそこまでは知らないけれど、無条件に存在してOKだと心から信じられたら、

オリジナルで築いてきたネガティブの土台を楽しく創り変えていける気がするんだ。

 

ゆっくり、

ゆっくりね。