自分を否定する声が聞こえる時に効く、
考え方と方法を見つけたかもしれない♪ という話。
昨日、ずっと自分の内側を考察していて点と点が繋がった気がするんだよね~。
結果から言うと、
自分を否定する声 = インナーチャイルド = 全身全霊をかけた命の防衛 = 愛。
という具合だ。
1つずつ説明するね。
自分を否定する声が聞こえる時は大抵、
『本当はこういう風にしたらいいはず…。』
と思うことが出来なかった時に頭のなかで聞こえる。
自己肯定感が低く、ずっと自分の存在価値はないと思い込んでいる人ほど、
『こんなのもできないの?本当に生きている意味ないね。○ねば?』
のような、自分を罵倒するかなり激しい声も聞こえたりする。
この声がなぜ聞こえるのか?というと、
人生の中で強烈な恐怖体験をしているからだ。
人との関わりのなかで受けた大きなショックをくぐり抜けて生きていくために、
自分の気持ちを押しころしたり、自分のせいとして処理せざるを得ない時があり、
それを体験した時に自分なりの『対処方法』が確立した。
例えるなら、
絵本や図鑑でしか 蜂 を知らない時は、
『かわいい♡、ブンブン♪、ハチミツおいしそう~!』ぐらいの認識で済む。
が、実際に蜂に刺されてアナフィラキシーショックまでも起こしたとなると、
『こわい、痛い、苦しい、命の危機、見たくもない』ため、
次からは蜂がいたら絶対に回避するべき!と無意識にも対処するだろう。
遭遇した出来事がショックすぎて恐怖に怯え、癒されなかった自分。
その瞬間を『背負っている自分』それがいわゆるインナーチャイルドだと思う。
あまりにもショックがひどい場合は、
その背負った自分を切り離してしまうこともある。
赤ちゃんやまだヨチヨチ歩きの子供たちが、
『こんなのもできないの?本当に生きている意味ないね。○ねば?』
などと自分に思わないように、
自分への否定は、大きなショックを体験して得た極度の防衛反応だと思う。
とんでもなく自分を否定しまくって傷つけまくる頭の声の本当の意図は何か?
それは、
『自分を押しころしてでも全身全霊をかけてその事態を回避しなくてはならない!』
という、なんとも健気ですこぶる拙い自分への愛の手段。そのものだと思うのだ。
自分のせいにして人生を切り抜けてきた時が多かったため、
その他の回避方法を知らない。
自分を否定、罵倒して自分をコントロールする(諦めさせる)のが、
ただ唯一の『対処方法』となっているだけなんじゃないかな~。と。
『こんなのもできないの?本当に生きている意味ないね。○ねば?』
を、生きるための最終手段という見方で翻訳すると、
『こんなのもできないの?ってバカにされてめっちゃ辛かった時があったから、
今度はしっかりやってほしいんだYO~~~(;´Д`)
これすらできなかったら次こそ居ても居なくてもいいって必ず思われるわ…。
そうなったらもう自分が壊れてしまいそう…。お願いです。できてください。
死にたくないです。。・゚・( ノω`)・゚・。 ヘルプミー。』
というかなり歪んでいるものの、必死すぎるラブレターに見えてきたんだよね。
だから、
わたしは自分を否定する声が聞こえてきたら、その声に向かってピンポイントで
「ありがとう」
って本気で伝えてみたんだ。
そしたらね、なんか『腑に落ちた』感じがしたのね。
今まで、ショックを受けた過去の自分へ「辛かったね~」とか、
「怖かったねぇ」と共感をして一生懸命寄り添っていたつもりだったのだけれど、
『なぜ、自分をこんなにも否定する声は止まらないのだろう…』
という疑問がずっとあった。
でも今回、本当の意図はこっちじゃないか?と気づいた(受け止めた)うえで、
「ありがとう」を伝えたら、
なんかインナーチャイルドのほうも歩み寄ってきてくれた感覚がすごくある。
表面上はとても自分の味方とは思えないインナーチャイルドの声だけれど、
どんな手段を使ってでも自分を守ろうとしている結果、
なんとも拙くてとりとめのない表現になっている可能性があると思う。
そこを大人になった自分が気づき、理解して受け止めることによって、
自分を犠牲にしない他のよりよい方法が見つかるんじゃないかな?
感覚的な話なので伝わりづらいと思うし、
わたしなりの考え方と方法なのでみんなに当てはまるかはわからないけれど、
自分にとっては効果てきめんで嬉しかった。
我ながらよく考えたなー。すごいぞー。とも思っている(。 ・ω・)) 笑
恐怖体験を耐えてきたその瞬間、瞬間の自分へ拍手喝采👏✨
拙い表現だけれど自分への愛を全身全霊で伝えようとしている内なる自分に、
これからも心からの感謝をしていきたいと思うよ。