~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

それぐらい、自分を信じてる。

自分の感覚をどれだけ信じられるか。

 

無意識で自分の存在を否定しながら生きてきたんだと気づいて早6年。そんなわたしだけど、膨大な恐怖と向き合いながら生き直しを図り、昔もっていた感覚をほんの少しずつだけど日々取り戻している。

 

そのなかでもあの日の感覚は今を生きるわたしにとってこの世界を観るキーポイントだ。

 

小学校で宇宙を習った時に、この世界へ違和感を感じた。初めて勉強したことなのに、とてつもない違和感を感じた。

 

内容が、ということではなく、宇宙というのをあたかも見てきたかのように『正解はこれです。』とでも言うがごとく話す先生へ凄まじい違和感を感じたのだ。歴史も然り。その感覚を得たと同時に "正解" を話す大人たちがつくるこの世界へも違和感を覚えた。

 

生き直しを図る前はその違和感すらすっかり忘れていたけど、ふと思い出した時に感覚も全て蘇った。消えてなんかいなかった。

 

わたしはこの違和感を今でも大切にしている。わたしだけが感じた『わからないけど何かがおかしい』そう感じた、わたしだけの真実。根拠なんて、理由なんてない。『好き』に理由がないのと一緒。

 

この感覚を信じてあげられるのは世界で唯一、自分だけだ。

 

胸キュンすらしない人から「愛してる」と言われたって好きになれないように、「正解を信じなさい」と言われたって信じられない。だって、わたしの正解ではないから。

 

これからもっと「正解を信じなさい」と周りは言ってくるだろうけど、わたしは自分が感じたことを道標にする。自分の感覚をこれ以上自分で疑うような人生なら、それはもう自分の人生じゃない。そんな人生を生きるぐらいなら死んだほうがまし。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、わたしはそれぐらいの覚悟でいる。

 

それぐらい、自分を信じてる。

 

弱っちくて弱っちくてしょうがない心をこれまで紡いできた強さがあるからか、わたしは引かない。引くつもりなんかない。もちろん押すつもりも、ない。

 

同調圧力なんかクソくらえ。

みんなそれぞれでいいじゃん。というか、同じなんか1つもないじゃん。

 

どれだけ自分を信じられるかの正念場にいる。戦わずに、ドンと居る。

 

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