こんなにも生きたいのに、こんなにも死にたくなる。
それは不思議と、同時に訪れるから、
これまでの経験を死ぬ気で生かして、絶望しながらも生きるほうへ全力で毎回舵を切る。
そういえば、
「死にたいと思った時は、もう何も感じたくない時。」
と言っている人がいて、その通りだなーと感心した。
わたしは何を感じたくないのだろう。
孤独感?
無価値感?
罪悪感?
諸々のバラエティーパック的恐怖感?
よくはわからないけど、きっと全部だろうね。
条件なしで生きていても大丈夫だという自己肯定感を創りはじめてまだ5年。
軸は細いけど薬も飲まず何とかバランスをとりながら生きているのだから大したもんだ。
先月、誕生日を迎えたけど20歳頃から毎年思う。
『今年もよくここまで生き延びたなァ』
冗談じゃなく、本当にそう思う。
そんな好き勝手を思いながら、
もう一歩、もう一歩と生きてみているのにはワケがある。
期待してるのだ。
何に期待しているかといえば、自分に期待してる。
何かができるようになるとか、結果を残すとかの見える部分への期待じゃなくて、
自分の全てを受け入れていった先にある『何か』を、
自分は必ず創れるし感じられるはずだっていう根拠のない自分への大きな期待。
『何か』は自分でもさっぱりわからないけど、
自殺ではない死に方をした時に心の底から思いたいんだよね。
『この人生でよかった』って。
だから、死にたくなった時にこそ最高のクライマックスを忘れずに生きようって思ってる。
全部を経験してやる。
全部を味わってさ。
全部が素晴らしかったって最期は絶対に思うって信じてるから。
自分の人生を、自分の全てを信じてるから、もう一歩、また信じて歩いてみる。
ゆっくり、ゆっくりね。