一部でもあり、全てでもあるという自分の "本当" に気づくと、弱い人なんて存在していないことがイヤでもわかる。
この世に弱い人は存在していない。
自分は弱いという世界をいとも簡単に創造することができる強いエネルギーそのものの人しかここにはいない。
怖い世界に圧倒されているのではない。
この世界を怖い場所だと想像したとおりに創造してしまうほど、バカデカいエネルギーの自分に圧倒されている。
全部、全部、自分で創り出せてしまうことに気づいて思い出してしまったら、自分のとんでもなく大きなエネルギーに責任をもたくてはいけなくなる。
全てが自分発だと知ってしまったら、誰のせいにもできなくなる。
自分を無力なものとして扱うことができなくなるし、自分が怖いと思っていることをしなくてはいけなくなる。
自分を価値あるものとして扱わなくてはいけなくなる。
それでは困る自分がいる。
そんな価値のある存在になってしまったら、言い訳も言い逃れも依存もできなくなってしまう。
だからまた一生懸命に弱い自分を創り出すのだけど、創り出せるパワーがある事実は何も変わらない。
自分という大きなエネルギーの "本当" からは決して逃げられない。
わたしは、逃げたような気になれた世界は創造し尽くしたから、今度は違う世界を創造したい。
なので、とんでもなくデカいエネルギーそのものとして生きることに決めた。
人間なのでアップダウンは当然あっても、心の底から自分を無力なものとして扱うことはもう不可能だと思うから、自分のバカデカいエネルギーに責任をもつことにした。
言葉で言うのは簡単だけど、めちゃくちゃ怖がってる自分がいる。
その反面、数えきれないほどの恐怖を信じている自分を横目に面白がっているわたしもいる。
自分への取り扱いを変えたら一体なにが起こるだろうか?
見えないところから変えたら一体なにが起こるだろうか?
自分のエネルギーに本気で責任をもって生きてみたら何が起こるか。
ちょっとやってみる。
自分の "本当" をもっと信じてみる。