どん底まで落ちてるときって、そこから2度と這い上がれないような感覚になるよね。
「この状態(感覚)が一生続くとかまじ無理」
「みんなは平気なのに自分は毎回アホ程しんどくなる…こんな自分にもうんざり」
「もう全部に疲れた」
比較やら否定やら何やらかんやらのおかげで絶望して全てからサイナラしたくなる。
同じパターンを数え切れないぐらい体験してるし、先日も、油断すると急に涙がダバー!って出てきて次の日、目がパンパンになってたわたしです//
落ちるパターンは同じでも、前と違うのは「どこか意識的に落ちてる」こと。
「今こう思い込んでるのは真実ではないはずだけど、今はそうとしか思えん!だから今はまじで無理!」って感じで、煎餅レベルのクッションが絶妙に入ってる。
何も守れなさそうな煎餅クッションだけど、自分のことを意識的に観てるのには間違いがないし、ドカンと落ちてる自分を眺めながら、「今は思いっきり絶望するんだ!」って、意識的に絶望してるあたりが過ぎてしまえば滑稽にも感じる。
そのおかげか以前よりも復活が断然早い。
昔は「悩みとか寝たら忘れる」とか言ってた人たちの気持ちが微塵もわからなかったけど、最近はちょーっとだけわかる。ほんのちょっとね。
忘れるっていうか、薄れるって感じ。
「何であれだけ泣いてたんだろうな…」という具合で、不思議と憑き物が取れたようになる。
ネガティブを味わってるときに自分を観ることも大事だけど、絶望と回復の落差が面白いほど激し過ぎるので、今回は少し深く探ってみることにした。
これだけ自分のことを強烈に叩きのめせる「ネガティブな信念」って一体どこからくるんだ?と考えたとき、自分という色(個性)を創り出してくれているエゴが、
「教えられた要らない信念」を握りしめて「絶対に教えられたとおりにしないとー!!」と踏ん張ってる状態が大きな信念と大きな抵抗を生み出してる感じがした。
これまでに教えられてきた「ねばならない!」「こうするべき!」「こう在るべき!」のバラエティ豊かな重い荷物を背負って、さらには手に「自分は愛されない存在だ」「幸せになってはいけない」「価値がない」みたいなことが書いてある紙を握りしめて、川のど真ん中に立って大きな流れを堰き止めてるイメージがわいた。
エゴは「要らないものを持たされた」だけで、悪ではない。
他の誰かとの違いを生んでくれるエゴは必要だけど、違う仕事を任せ過ぎた。
本来は「なんとなくこれが好き~♡」とか「なんかわからんけど、これやりたい~♪」みたいな、自分だけがもってる色を出すだけのはずだったのに、
「あなたはそれじゃダメ」だとか「あなたはこうじゃなきゃいけない」とか「そんなものを好きになるのは変だ」とか、もう…ありとあらゆる別の色を叩きこまれて、
「自分の色は出しちゃダメなんだ!教えられたことだけが正解なんだから、自分は出さずに教えられたことを教えられたとおりにやらなくちゃ!自分の色は間違ってるんだ!自分は愛しちゃダメなんだ!」
と、信じ込んだのが強烈な「ネガティブな信念」の正体なんじゃないのかと思った。
だから基本、エゴに背負わせて握らせた要らないものは全部ウソなんだよね。
そんなイメージがわいたから、頑張り過ぎてるエゴにちょっと話しかけてみた。
「今まで要らないものをたくさん持たせすぎてしまったね。ごめんね。大きな流れにただ浮いてるだけでよかったのに、ずっとずっと違うこと信じさせて押し付けて頑張らせてしまった。もう十分だよ。ずっとずっと頑張って疲れたよね。本当にありがとうね。背負ってるものは降ろして、握りしめてるものはウソだからビリビリに破いていいよ。」
イメージのなかのエゴは「えー!そうなのー!?」「じゃあもうこれ要らないねw」って言ってビリビリに破いてくれた。
そのイメージの勢いを使って、今度は自分が実際に8枚分に紙をビリビリ破いて、小さくなった1枚1枚に要らない信念をマッキーで書いた。
「わたしは愛されない存在」
「仕事してない役に立たないダメな存在」
「死ね」
「わたしは幸せになれない」 etc(あとは忘れたw)
書いた紙をもってゴミ箱の横に立ち、紙を見ながら「ウソだね」「冗談言わないで」「ふざけんなw」ってツッコミを入れながら1枚1枚ビリッビリに破いた。(これがけっこう爽快☆)
自分でも「何してんだ?w」って感じだけど、エゴに長い時間ずっと違うことを頑張らせてきてしまったから、一緒に手放す手伝いがしたくなったんだよね。
イメージを実際に形にしてさ、見えない部分のことを見える世界でも一緒に片付けて、望む方へ意識付けをしたかった。
自分なりのカオスなデトックス方法だけど、何となく思いついたからただやってみたよ笑 この「なんとなく」をキャッチするだけなのが本来のエゴの役割だと思うしね。
とんでもなく大きな抵抗を生み出す「要らないもの」だけど、その要らないものがあったほうが自分の力を弱く見せてね、怖いことから逃げられるメリットにする隠れ蓑にもしてたりするから、抵抗を感じたら荷物を1つ1つ観て、怖いけど手放していけたらなって思うよ。
そんなわけで、どん底のときに感じてるときの気持ちって、実は「自分」ではなくて、たくさんの要らない物をもたされて頑張って疲れ切った「エゴの」声なのかもなーと思った話でした。
気づいたウソはビリッビリに破いて花吹雪に変えてやる~!❁\( 'ω')/❁