コントロールできないことがあればあるほど、気づくようになっている。
『自然』から気づきを得ることが多いのも、それそのものをを観るからだ。
予期せぬ事態はストレスだったり恐怖だったりするから、本当は避けたい。
慣れ親しんだリズム、同じこと、同じシーンの繰り返しのほうが安心で落ち着く。
でも、選んだ安心と引き換えに維持しようとしたものは『自然』のリズムから外れる。
水が長期間同じところに留まると濁ってだんだんと腐っていくように、
良い悪いではなく『自然』のリズムは全てに変化を与えながら広がっている。
その『自然』という秩序の土台をコントロールしようとすることは、
水を流さずに川を維持したいと言っているのと同じで、
血を流さずに体を維持したいと言っているのと同じようなことだったりする。
止まったように見える世界はあっても、実際は何一つ止まっちゃいない。
コントロールをしたような気にはなっても、実際には何一つコントロールできちゃいない。
むしろ、できないコントロールをしようとすればするほど気づくようになっている。
変化のなかにこそ豊かさが存在して、変化のなかにこそ自由が存在すること。
そしてそれは『わたしたち』が望んでいるからこそ何にも止められないこと。
そんな『自然』の一部である以上、全ては変化する。
でも、どんな変化を望むかはこの世界の1人1人に与えられている究極の自由だ。
わたしは、枝のように自由に変化をしていった先の唯一無二の形を見るのが好き。
その変化にこそ『自然』を感じて、その全てに『わたし』を観るから。
変化のなかにある安心にいつも浸っていたい。