~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

盛大に狂った

1年ぶりぐらいの壮絶な無価値感&希死念慮から2日で復活したぞーーーぉ!!w

\( 'ω')/ウェーイ♪

 

今回こそヤバい…って毎回思うんだけど、今回も踏ん張った&乗り越えた。偉い。

 

事は19日の夜に起きまして、母から『もう、ゆきこの話を聞きたくない。』という趣旨の内容を伝えられたんだよね。言葉としてはこんなにダイレクトではないのだけど、要約するとそんな感じ。

 

母は今まで本当に粘り強くわたしの話を聞いてくれていた。

心の中の葛藤の話、幼少期から現在に至るまでに受けた父からの理不尽な言葉。

 

母に対しては4年ぐらい前から「人の話を聞くのって本当に大変だし、身内(娘)の悩みや苦しみを聞くのは親として、もっと大変だと思うから無理なときは無理って言ってね。第三者に相談する手も考えるよ。無理して聞いて共倒れになったら意味ないし。」

 

という話は何度もしていたんだけど、母は毎度あっけらかんと

 

「うーん。聞くのは全然大丈夫。わたしも自分のやることをやりながら聞いてるし。無理なときは無理って言うし。

 それに、小さい頃の家庭環境(祖父母含)~ひきこもり~今現在までの変化を第三者へ全て話すとなったら時間もかかって大変だろうし、多少内容がわかってる人間が聴いたほうが早いかなって思う。

 ただ、実際のところ聞くだけで何もできない(何もアドバイス的なことが言えない)のが何だかな~。って感じではあるけど。笑」

 

というような具合で言ってくれていたもんだから、母は自分で自分をコントロールできてるもんだと思ってた。

 

でも19日にそれが違ったとようやくわかった。

 

いつものごとくわたしが父から受けた言葉や態度でしんどい気持ちになってることを伝えた際、いつもだったら淡くも共感をしてくれていた母が渋い顔をしながら絞り出すようにこう言った。

 

勘違いだと思う。」

(お父さんはゆきこのことを大事にしてる言葉を普段からわたし(母)によく話しているから。)

 

ちなみに、この括弧の部分は母がよくわたしに話してくれるんだけど、父は、母の前とわたしの前では対応が違う。父がわたしのことを愛していることはわかっているけど、父は機嫌次第で対応が変わる。(ここも母に何度も伝えていて少し理解してもらえている気になってた)

 

親子だから夫婦との関係と同じ対応ではないのはもちろんわかるけど、それ以前に父はプライドが高く、自分のなかで人を上か下かで判断するヒエラルキーが存在しているので、これは下と分類された人(家族でいうと子どもたち)側からしか見えないものだったりする。

 

自分より上だと思う人には笑顔&ペコペコ。自分より下だと思う人には気分次第で圧(コントロール)をかける。外面はいいけど、身内には厳しい。祖父もそうだったけど父もまんま同じタイプ。

 

だから、父が自分と同等・もしくは上だと認識して扱っている母にはわたしの気持ちがわかるはずなんてなかったのだけど、わたしは自分の『わかってほしい!』気持ちと『わかってくれるはず!』の期待が暴走していて、淡くではあるものの共感をしてくれる母へ父のクレームをほぼ毎日言うようになっていた。情けないけど、この点は父と同じコントロールだね。反省。

 

自分でも母に負担をかけていると思いながらも自分がしんどすぎて甘えが止まらなかった矢先、「勘違いだと思う。」の一言。

 

『え…?今まで共感してもらえていたのはウソだったの…?』

そう思った瞬間、見事に自分が狂った。

 

立ったまま笑い、泣いてダンスをするように胸の前でパンパン手を叩きながら

「そうだ!そうだ!勘違いダネー!!♪お母さん!勘違いだwわたしの全~部!勘違い!そっか!勘違い!よかったよかった!勘違いダネー!!♪♬」なんて盛大に狂ったもんだから、今度は母が泣き出した。

 

「そんな狂ったように言われたら、わたしはどっちについたらいいか分からない!わたしがゆきこが言うようにお父さんに対して本当にそう思うようになったらどうなると思う!? 実際、もうそんな状態(2人になったときに話が少なくなった等)に少しなってる!」

「話を聞きたくないときは無理って言ってほしいってゆきこは言うけど、ゆきこはそれができるの?わたしにはできない!」

 

って、母の言葉を拾っていくうちに自分のほうがすこぶる冷静になってしまって、

 

「え?(; ・`д・´) どっち(娘or夫)につくとかって…そういう話じゃないよね?」

「え?(; ・`д・´) わたしに影響されて父を嫌ってしまったらどうするの?って言ってる??」

「え?(; ・`д・´) 話を聞きたくないときは言うって言ってたから信じてたんだけど…???」

 

って、最初はツッコミにも似たような言葉しかでなくなってしまった。

わたしが限界だったように、母も限界だったんだと思う。

 

お互いに少し冷静さを取り戻したあと、

わたしからは「勘違いだと思うのはお母さんの勝手だから自由に思っててもらっていいけど、それを言葉に出されると自分が感じたことを否定されたように"今のわたしは"感じるから言わないでほしい。」と伝えて、

 

母からは「自分が勘違いだと思ったからそれをそのまま伝えただけだけど、言葉が適切じゃなかったなら訂正する。」という言葉をもらった。

 

母の気持ちに気づかず、甘えまくって我慢させまくっていたわたしが偉そうに言うセリフではないけど、母は我慢して聞いていたことにようやく気づけたので、

 

「こういう話はもう話さないようにするね。」って伝えた。

「期待(コントロール)し過ぎて、甘えすぎていたね。我慢させたね。本当にごめんね。今までありがとう。」って言えた。

 

このやり取りがあった直後はそうでもなかったけど、次の日(20日)がもうエグいぐらいに無価値感や罪悪感にやられてドーーーーーンと凹んで、最高潮に死にたくなった。

 

何もかも初期化したい気持ちのなかでただ唯一、『このピンチを最高なチャンスへ変えたい!変えられるはず!』っていう気持ちだけは消え入りそうになりつつも奥底で静かにずっとあった。

 

そんななかで見つけた動画に救われた。(記事の最後に貼っておくね)

タイミングが最高すぎたからだと思うけど、一気に視界が開けた気がした。

 

そうだ。生きててこのかた無価値感もない。(生きていることへの)罪悪感も感じたことがない。 死にたくなったこともない。という人に対し、3歳ぐらいから感情を出さずに演技したり事故に見せかけた自死を小2で考えたりするような異例な?特殊な?わたしの感じ方をわかってもらおうとするほうが到底無理すぎるわ(笑)って、本当の意味で諦めがついた。

 

言葉にしちゃうと最低だけど、限界突破で狂ってみてよかったわ。

狂ったおかげで母は本音を言えたし、わたしも自分が気づかないといけないことにやっと気づけた。

 

人様からみたら本当にくだらない自分や家族の内々のことだけど、全てが自分の気づきになっていく感じが振り返ると本当に感動する。

 

実際のところ外側の状態は何も変わってないけど、自分が変わることで体感する景色は必ず変わることを毎回体験するから、毎回自分を諦めきれない。

 

本当に本当に母には感謝してる。

20日の夜には仕事帰り、わたしの好きな食べ物とかをたくさん買ってきてくれた)

たくさん心配させてきたからこそ、いつかこの変化と感動を、またありがとうとともに伝えたいし、心の底から笑ってる自分を見せてあげたい。

 

昨日の夜は布団の中で自分へ拍手を送りながら寝た。

どんなに絶望と感じられることも全部、希望へと変えていける力が自分にはあるはず。

そう改めて生きたまま自分を信じられる幸せ。これからも大事にしたい。

 

 


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