干し終わった座椅子カバーが座椅子のうえにポンと置いてある。
置いてあることに気づきはしたけど、
『今この瞬間、座椅子へカバーを被せるも被せないも自由に決めていいよ。』
と自分へ選択肢を与えたところ、
『カバーがピタッと被せてある光景のほうが自分の心地がよくなるから。』
と被せるほうを選んだ。
座椅子に洋服を着せるようにカバーを掛け、ズレ防止の紐を結んでいる時に感じた。
『あ。今、夢の中を自分が好きなようにデザインしてる!』って。
選択をして行動を決める。というのは今までと何ら変わりはないけど、"現実"に対する定義を変えたからか、
『自分が見たいと思った景色を自分で意図的に創れた!』『できた!』っていう感覚をはっきり味わえたんだよね。
もちろん全て自分の内側の話だから、しょうがなく座椅子のカバーを掛けようが次の行動を考えながら座椅子のカバーを掛けようが【座椅子のカバーを掛けた】という結果は何も変わらないし見えている状態も同じ。
ただ、意図して変えている(変えられる)という意識のなかで達成感を得られたことは、なにも座椅子のカバーにだけ当てはまることではないと知っているから興奮した。
今の自分が到底無理だと思えていることでも、今は具体的なイメージができないことでも、その瞬間がきた自分なりに『自分で変えていける。自分で創っていける。』という確信を得られたような気分だった。
現実という夢の主である。と自分がわかっている感じだね。
まさか座椅子のカバーでそんな達成感を感じるなんて思わなかったけど(笑)おかげで全てはうまく回っていることがわかったから自分にとって夢生活はなかなか合っているみたい。
そして、この件を体験したあとにこの動画を観て今自分に起こっていることがさらに腑に落ちた。
わたしの一番最初のブログのタイトルは【ひきこもりと宇宙人】だった。
途中で【ひきこもり369】に変え、今【~ゆるふ らいふ~】となっている。
6年前、何のことかさっぱりわからなかった見えないことのアレやコレやが今どんどんと繋がってきて勢いづいていることを感じてる。もちろん、これから先も自分がそうすると決めることで勢いは増すしかないと思う。
自分を楽にするためだけに始まった自分の意識改革だけど、今は自分の変化が一番面白いし楽しいと本気で感じられてそれ自体が本当に嬉しい。そういう変化を選んでいる人たちが多くなっているのもわかる。
そして矛盾するようだけど、何も知らないことを今知っているからこそ肩の力を抜いてもっと緩んだ状態でホッとしながら(そして時に思いっきり夢に振り回されながら。笑)自分だけの夢をこれからも楽しんでいきたいと思う。
このわたしの記録はもっと面白くなるよ。
最高にね!