人が生きている間に発した音というのは、
星のごとく響き続け鳴り続け、うなり続けて消えないのだと思う。
発したように、感じたように。そのままに。
相手は目の前にいないのに昔言われた音がきこえる。
相手は死んだのに今もその音がきこえる。
記憶という単語だけでは到底起こり得ないような振動があるのは、
その時、そこにエネルギーを込めたからだろうか。
発した音も、受け取った音も消えない。
共鳴して自分だけにしか聞こえない音へと変わり、鳴らしたように鳴り続ける。
レコードに記録された音楽のように、刻まれた音はいくらでも自由に再生ができる。
音を受け取った側にできることは、
その音にどんな意味を与えるかだけだ。
それが心地が良かろうが悪かろうが関係ない。
受け取った歌詞に違う側面を見つけてBGMのように聞き流すか、
流れているものに波長を合わせて感情を揺らすか、
のどちらかしかない氣がする。
豊かな音は数多くの体験の証。
せめて自分を通り過ぎる時の音は、自分にとって心地の良い音にしたいと思う。
自分専用の蓄音機で流された音は、間違いなく自分が1番たくさん聞くからだ。
この瞬間、全ての音は絶え間なく鳴り続ける。