ここに置いておけば適当に食べるんじゃないか。
冷えたトマトより常温のトマトが好きなわたしのよくわからない嗜好を鑑みて、
用意周到な母の手によってさりげなく台所の目のつく所へ置かれた楕円のプチトマト。
母の策略通り、トマトを手に取ってささっと水で洗ってパクパク食べる。
頂き物のトマトは酸味も少なくてお世辞などではなく本当に果物みたいだ。
『誰がこんなに食べるのよ!』
と妻から言われながらも熱心にトマトを作り続けている知り合いのご主人は、
トマト作りが上手な人からコツを聞いて作るぐらい栽培が趣味なようだ。
そのおかげで久しぶりに美味しい手作りトマトにありつけたこちらとしては、
ご主人の行き過ぎた素晴らしい趣味に感謝するしかない。
熱中できるものがあるって本当にかっこいいし、
こうやって必要なところに素晴らしいトマトだって巡る。
トマトの御礼がしたいと、知り合いの家へ行って母が御礼のパン等を渡すや否や、
『そんなこと(御礼なんて)するならもう持って行かないよ!』
『ううん!美味しかったから、また持ってきて!』
というような田舎あるあるの会話があったそうだが、
その後もれなく第2回目の美味しいトマトたちがやってきたのだった。
こういう素朴なやり取りをしながら、
お互いにとって必要な物や事が巡る光景を見られるのは幸せだ。
必要なものが必要なだけ循環しているなァと感じるからだと思う。
トマトに見守られながら台所でざぶざぶと皿を洗ったあとに、
残り3つまで減っていたトマトを1つ頬張ったら噛んだ瞬間に中身が少し口から噴射してしてまった。
噴射した先がぺっとゴミ箱に飛んで、ゴミ箱の側面の汚れに氣がつく。
トマトを口の中でもごもごさせながらティッシュを濡らしてゴミ箱の清掃がはじまる。
なんと、美味しいトマトのおかげでゴミ箱まで綺麗になってしまった。
知り合いのご主人もこんなトマトストーリーの結末は知らないだろう。
などと思いながら1人でほくそ笑み、残り2つのトマトも噴射しないよう口に放り込んだ。
トマトは物語だけを残して台所からなくなった。
美味しかったです。ごちそうさまでした。