何かをはじめようとする時、
その出来事に色がついているかを確認している。
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とある仕事の話をもらったのだけど、
自分とじっくり相談をすればするほど、
その出来事に色がついていないことに氣がついた。
頭としては、
『せっかく声をかけてもらったのだからやってみたほうがいいのではないか』
『今後のことを考えて少しでもお金を稼いでいたほうがいいのではないか』
などなど不安の声は尽きないわけだが、自分の感覚を信じてお断りした。
そもそも色というのは、
『既にもう、それをやっている感じ』
『頭は怖がっていても心は絶対にやると決めている感じ』
の状態のことで、今回はそれを基準にしたのだ。
まだ起こっていないことだから、
具体的なイメージなんてものはもちろんわからないのだが、
既にその出来事が埋まって色がついているような感覚がする時はすかさず動くわたし。
さらに言うと動く時は、頭が怖がっていようが驚いていようがお構いなし。
まるで自分が2人居るかのごとく、絶叫と情熱の中に自らをさっさと放り込む。
なぜそんなことになるのかは毎度自分でもサッパリわからないが、
こういう経験を今までに何度も重ね、
"なぜかはわからないけど動かざるを得ない"
というカオスなスイッチが入った時ほど、
これまたなぜか結果オーライになってしまうので、
頭で無理矢理考えることはもう諦めて、感覚に委ねていることにしているのだ。
感覚で動いた過去事例は記事の最後に貼っておくね。
でも実際に、
『出来事に色のような重さのような感覚がある』
ということは今回の件で初めて認識できた。
今まで無意識というか、
頭の声に反し忽ち動き始める自分に圧倒されるばかりで、
その時の感覚を意識して感じたことはなかったんだよね。
なので今回は迷った時の神頼みならぬ迷った時の感覚頼みで、
自分に提示された先の出来事を意識的に感じてみた結果、
『何も感じない、色がない、やっている感覚がしない』
のでやめたのだ。
ちなみに、
その瞬間に色を感じた出来事ならば、即座に『やる』と決め、
さっさとカオス状態へと舵が切られることはわかっているので、
今回は最初から今の自分にとっては不要な出来事ことだったとも言える。
(この感覚に氣づくための出来事であったとも言えるから感謝なんだけどね)
感覚の違いはあれど、
"どうしたって止まらない自分を感じる時"
皆もあるかな?どうかな?
ちなみに母へ伝えてみたら、
「うーん。わからないなぁ。(゚-゚)」
だったよ。皆それぞれだね。
今回、自分のなかで改めて認識できた感覚を今後も大切にして、
次のカオスにも期待をしながら面白がって過ごしておこうと思うよ。
ではまたね。
感覚で動いた過去事例 ▼
funfunhappiness.hatenablog.com