~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

広場ワーク

ここは芝生が広がる大きな広場。

太陽の光が大地を優しく包み込むように降り注ぎ、

広場を囲む木々のあいだを心地のよい風が通り抜けていく。

 

広場には様々な人たちが集いお気に入りの場所でくつろいでいる。

 

広場の入り口、レンガで作られた丸い花壇に腰掛け、深々と本に見入る人。

広場の真ん中では、洋服のあらゆるポケットに手を入れて捜し物をする2人組。

広場の奥にある木陰では、大きな声で笑って電話をしている人。

広場の西側にあるトイレから出てきて、空を見上げふと足が止まる人。

広場の散歩コースで、黄金色の大きな犬に挨拶をする子供。

その横で互いに目を合わせ微笑む、白髪交じりの飼い主と親。

 

あちらにも、こちらにも、人がいる。

皆、それぞれ場所でそれぞれの事をやっている。

 

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このシーンはわたしが想像した架空の広場。

出てくる人たちが何をしているかに特に意味はない。

 

人生の広場で、それぞれが自分の表現をして過ごしている。

そんなシーンをイメージするための参考図だ。

 

そこに優劣はなく、広場の上でやりたいことをやっているだけ。

足元を見ればただただ平面で、

西側にいる人が優れているとか、真ん中にいる人が劣っているとかはない。

 

『そんなの当たり前だ。関係ない。』

 

と思いがちだけれど、

わたしたちはこの広場を無意識でピラミッド型にしたり、

道のように、自分より先を行く優れた人 or 劣った人と距離をつけて見がちだ。

 

お金をもっている人はすごい。 お金をもってない人はダメだ。

結婚している人はすごい。   結婚していない人はダメだ。

仕事をしている人はすごい。  仕事をしてない人はダメだ。

痩せている人はすごい。    太っている人はダメだ。

 

結果、

自分も常に人と同じ場所(広場)に居るのにも関わらず、

劣等感をもって自分を決めつけはじめる。

これ以上、自分が傷つかないように。

 

でも本当は皆、ただ生きているだけ。

やりたいことが違うだけで、ただやりたいことをやって生きているだけ。

 

目的も違う。

だから本当は何も比べようがないはずなのに行動と結果でジャッジして、

行動と結果が影響を及ぼさない『存在』をないがしろにしていく。

 

憧れのあの人も、天皇も、ホームレスの人も、塀のなかの人も、

あなたと同じように広場に存在する人たちで、広場での遊び方が違うだけ。

彼らがどこでどんな本を読もうが、どんな遊具で遊ぼうが自由なのだ。

 

同じように、30歳を過ぎたわたしが、

突如として1人、ボール遊びをはじめても自由なのだ。

ボールを使うことで起きる全てのことを覚悟して遊べばいいだけ。

 

それを、

見苦しい!恥ずかしい!とジャッジして苦しむのは、他の人の問題だから。

 

というわけで最初にイメージした人生の広場は、

価値観を意識して確認するための広場なのでした。

 

わたしはイメージがあるほうが気持ちが楽になるんだよね~。

あえて視覚化、言語化させてみるとより整理できて一石二鳥♪

すべてはわたしのため。楽しくするため。

 

こもれびが差し込む広場のベンチで楽しくブログを書き終わりました。

さて、次は何をして遊ぼうかな。

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