~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

よくわからなくて面倒くさくなって泣けてくる

そろそろ祖母ちゃんが旅立つかもしれないんだけど、お見舞いに行く気がない。

 

行かなかったら行かなかったで自分のことを責めそうだから、今のうちに行っておいたほうがいいと頭の半分が薄っすらと言うんだけど、もう半分では思っちゃう。

それってどうなのよって。

 

罪悪感から逃れたいために行く。

祖母ちゃんが寂しそうだから行く。

 

別に正解なんてないけど、今のわたしはちょっと思うわけ。

そんなんだったら行かないほうがマシなんじゃないかって。

 

罪を感じる必要はどこにもないし、祖母ちゃんのために無理やり行くのも違うじゃん。

行きたかったらもういくらでも行ってるはずだって。

チャンスは今まで何回もあったけど、わたしは行かなかった。

 

でも死にそうになったから1回ぐらいは会っとくか。なんてウソ過ぎる。

祖母ちゃんに失礼だし、何より自分に失礼だ。

そんな気持ちで会っても誰もハッピーにならないのだけはわかる。

 

こういう自分で決めなきゃいけないとき、本当のわたしはどうしたいのかを朝から自分ととことん向き合ってみたんだけど、結局はよくわからなくて面倒くさくなって泣けてくる。

 

自分軸ってこんな感じ?どんな感じ?本当は?本当は?

自分の本当がわからなくて、正解なんてないのに正解がほしくて、もがく自分を静かにみつめて何時間も経った。でもやっぱりよくわからない。何だか行きたくないってことぐらいしかわからない。

 

わたしと祖母ちゃんはよく似てる。

 

お互い、自分のことを守るために必死過ぎて心が開かないまま頑張って、被害者のところから自分の存在を叫んでた。だから本当はやらなくてもいいこと、言わなくていいことまで言って表面上の信頼のない関係になった。自分を信頼しない見本同士だった。

 

今、祖母ちゃんに対して感謝やリスペクトがないかっていったら全くそうじゃないんだけどね。

 

うーん。わたしは一体何が怖いんだろう。

良い孫はやめたつもりだし、良い人間もやめたつもり。

でも罪悪感が出そうってことはそういうことだよなぁ。

 

きっと今、祖母ちゃんが死にましたって言われても特に驚きはしない気がする。

 

こんなに悩むのも久しぶり。

悩むぐらいなら行っておけって言われそうだけど、納得したいほうが先なんだ。

自分がちゃんと納得したい。自分に素直になった上で決めたい。

 

はぁ、こんなに濃縮された味わいのある体験、祖母ちゃんがいなかったらできないや。

祖母ちゃん、ありがとう。

せっかくなのでこの混乱のまま自分らしく、不器用なまま気が済むまで悩んでみる。

 

ありとあらゆる全てのシチュエーションから得られることがあるはずだから。

 

 

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