~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

出来事そのものには意味がない

自分の思考癖を意図的に変化させていくコースを選んで早8年。

 

部屋から1歩も出られなかった自分、他人はもちろんのこと家族とも顔を合わせられなかった自分が見たら卒倒しそうなチャレンジができることも多くなった。

 

最近のチャレンジだと前回記事のドライブスルー、

その後は、約10年ぶりだと思われる公共の図書館を利用することができたり、新聞のチラシで気になった自律神経整体へ行ってみたり(次も予約済)、

 

大きな音が苦手だけど、父に教わりながら草刈り機を少しだけ握らせてもらって草を刈ってみたりということができた。(少し気合は要るけど音は案外大丈夫だった。ただ何の防御もしていなかったからパジャマと素足が草まみれになったけどね!)

 

自分のバランスを自分でとることが少しずつできるようになってくると、行動も段々と変わってくるので動きのある派手なほうに目が行きがち。だけど、わたしが大事にしているのは何気ない小さな日常の感じ方のほう。

 

たまにくる『あ。ここ変わった。』と思える瞬間が今日もあった。

 

リビングで図書館から借りてきた本を読み、愛猫と寛いでいると「カシャン」と乾いた少し大きめの音が廊下側から聞こえた。

 

何の音だろう?と玄関やトイレ周りを見たけど異変は見当たらず、お風呂場を覗いたら音の正体がわかった。わたしがお風呂場の壁にかけていた剃刀がホルダーごと落ちていた。

 

「あらら」と言ったか思ったか、落ちて外れてしまった剃刀の部品を直し、ホルダーの吸盤に少しの水をつけて元のように戻してお風呂場を出たら、まだ洗濯されていない服が入ったままの洗濯機がドンと目に飛び込んできた。

 

朝、洗濯する物や干す物がないか確認はしたけど、回さないままの状態で服が洗濯機に入っていることはほぼ皆無のため、洗濯機を覗き込むことまではしていなかったのだ。

 

昼過ぎまで洗濯物の存在に気づかず、のうのうとリビングで寛いでいたわたしが思ったことはこうだった。

 

「剃刀のホルダーが落ちたことで洗濯機のなかの状態に気づくことができた。

 リビングで寛いでおらず2階にいたら落ちた音にも気づけず洗えないところだった。

 ラッキー!なるほど。よくできてる!」

 

ひと昔前の自分だったらきっとこう。

 

「今まで落ちなかったホルダーは落ちるし、今の今まで(昼過ぎまで)洗濯物に気づかなかったなんて何てダメな自分…。あー最悪。昼から曇りなのに乾くかな…。」

 

ひと昔前の自分の反応がダメなのではなくて、その判断と反応しか選べないと思い込んでいたのだと今ならわかる。

 

何か出来事が起こったとき、その出来事そのものには意味がない。

意味をつけて自分がどんな感情を選ぶかは全部自分でやっていること。

 

このカラクリに気づいたあとは、起こる出来事と自分の内側で感じていることをジャッジせずにただ観る練習をしたし、今でもしてる。

 

出来事に対して『イヤな出来事だ』と感じた自分がいても全然問題はない。

イヤな出来事だとジャッジして、イヤな気分を自ら選ばなくても問題はない。

結局どちらでもいいのだとわかったら、自分が選びたいほうを選ぶようになった。

 

その練習の結果がじわ~っと効果を発揮したのが今日のことだと思った。

 

何を感じようが何を選ぼうが何でもいい。

けど、選べるんだと気づけないときは1つの捉え方に囚われがちのも事実。

 

そんな囚われの時間をたくさんたくさん過ごしてきたからこそ、

今からの自分には存分に選んでいいんだという気楽さと安心感を与えてあげたい。

 

わたしにとって『あ。ここ変わった。』は、静かで大きな喜び。

 

きっと、洗濯物を夜まで見過ごして何もしなかったとしても、今の自分なら

「あらま。気づかなかった。」となるだけで、自分を責めたりは絶対しない。

どんな自分でもOKとしてきた賜物だ。

 

これからも自分の変化にもっともっと気づいていきたいし、変化を体験していきたい。

 

 

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