~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

悔しいって思えてよかった

中学の卒アルを成仏させた。

今朝のゴミ捨てに合わせて昨晩、感情の整理と頭の整理と物の整理。

 

中1は学校崩壊最高潮と男ヤンキーたちからのイジメ。

中2はクラスと部活でのイジメ。

中3は塾でのパワハラ

 

クソみたいな思い出しかない中学時代だから、

卒アルに一通り目を通したらさっさと捨てて整理も終わるはずだった。

 

昔らしく卒アルの最後のページには氏名と住所の個人情報が羅列されていて、

『さすがにこれはシュレッダーか火を焚いた時に燃やすかしないとだな…』って、

数枚のページを一気にまとめてビリビリと力強く破き終わった瞬間、

 

『悔しい!!』

 

っていう想いが腹の底からグワッ!っと湧いてきて涙が急に出はじめた。

突然すぎて何が悔しいのか全くわからなかった。

 

本当は自分も載るはずだった部活動紹介の写真に写っていないから?

それとも、イジメられたから?大人たちに失望したから?キツかったから?

 

流れ続ける涙だけをティッシュで拭いながら自分の内側に目を向けていく。

しばらくしたら悔しいの正体がわかった。

 

自分を生きられなかったのが悔しくて悔しくてたまらなかったんだ。

 

『印象的な出来事は山のようにあったのに、 "何もない" と感じるのはなんでだろう?』

ページを破る前の卒アルを眺めながらふと感じていたことにも合点がいった。

 

家でも学校でも、無意識に自分の感情を感じないようにしていたから、

本当は怖くて、苦しくて、泣きたくても、それを素直に表現できていなかった。

 

『本当の自分を表現してしまったら自分の価値はさらに低いものになってしまう。』

そんな無意識があることさえわからないまま恐れでしか生きられなかった結果、

 

たしかに出来事はあったのに、自分も居たのに、

何もない。

何も感じられない。

 

だから、悔しくなって涙が出たんだ。

最初は外的なことだと思ったけど、違った。

 

自分を生きられないってこんなに悔しいことなんだね。

 

こんなことを実感する日がくるなんて思いもよらなかったし、

何なら1回死んだ気にもなった。

自分を生きないまま生きても結果はただただ『悔しい』だけなんだなって思い知った。

 

無心で終わるはずの整理作業だったのに、1時間ぐらい感情にまみれる始末。

 

でも、嘘のない自分を感じられてよかった。

悔しいって思えてよかった。

卒アルに写る自分に感謝できた。

 

辛かった過去の色がちょっと変わったもんだから、卒アルに微量の執着が出たけど、

『いやいや、過去を活かして今を生きなきゃね。自分を生きなきゃね。』って、

新聞紙で作った袋に丁寧に入れて片付けようとした時に記事の題名に目が留まった。

 

【今の私、ファイト!】

 

…。

 

出来すぎた演出に苦笑いしたけど、力強く背中を押された。

(しかも、その記事は中学生が書いた文章だった。)

 

こりゃもう自分を生きるしかないね。

悔しい思いはもうたくさん。お腹いっぱい。

 

今のわたしをとことん信頼し、目一杯に全てを感じながら生きていくよ。

そうする。

 

そうするよ。

 

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