うつ状態だった20歳頃、唯一とも言える自分が自分を誇れていた瞬間があったな~とふと思い出した。
自分が『格好いい!好き!』と思う服を纏っている瞬間だけ、自分がめっちゃ好きだった。
もちろんその当時は、人の目をめちゃくちゃ気にしているからこそ『ダサい服なんて着てたら馬鹿にされる…(自分の価値がますますなくなってしまう…)』という無意識のわかりやすい反動で偶然たどり着いた結果ではあったけど、自分が思う『格好いい!好き!』の感覚だけは嘘じゃなかった。
だから、好きな服を着ている自分も『格好いい!』と本気で思えていたし、そう思える瞬間だけは本気で自分を好きだった。重ねて言うけど、その当時は本当にその瞬間だけね。格好いい鎧を脱いだ瞬間、隠れるように生きてたわ。笑
でね、ここからが面白いの。
その瞬間ではあったとしても、自分のことを自分が本気で『恰好いい!』と心底思えているときに何が起こっていたかなって思い出すと、人から直接「格好いい!」って言われてたんだよね。
同性の友人と遊んでいるとき、一緒に歩きつつわたしの顔を覗き込むように見てきたかと思ったら「本当にお前って恰好いいな…。」って感嘆のため息でも出そうなぐらいの勢いで言われたり、
成人式の前撮り写真を選びに写真屋さんへ行ったときも、到着早々カメラマンの人が自分を見て「うわぁ~。めちゃくちゃ格好いいね!ちょっと撮らせてくれない?」って突然言ってきて、私服を着た自分をモデルのごとくその場でバシャバシャ撮影してくれた。そして後日、前撮り写真と合わせて2Lサイズの私服写真を何枚も無料でもらったのね。
これは紛れもなく鎧を着ているときにだけ起こってた。その頃はアトピーもひどくて化粧とかもしてないときだった。ただただ、自分が自分のことを『今わたしすげー格好いい!』と本気で思ってるときにだけ言われてた。
だから人から「格好いいね!」って言われたときも表向きは謙遜してたと思うけど、心の中では『え?当たり前じゃん?』ってなってたと思う。だって本当に自分が格好いいと思ってるから。
つまりは、自分が自分に向けているその瞬間の眼差しがそのまま現実に反映されてる。という結構わかりやすくていい例だと思う。
ちなみに鎧時代の自分やひきこもり絶頂期の自分からしたら絶対に有り得ないけど、今はザ☆パジャマっていう恰好でも来客を受けられる。
『わたしの価値は見た目なんかじゃねぇ!』って本気で自分が思えるようになったからこそできることではあるんだけど、見た目にこだわらな過ぎて今は逆にそれが不安っていうね。笑
それで昔を思い出すことになったのかも。自分が自分をもっと好きになれる状態を自分で創る手段はいくらでもあるでしょう?って。
そして今の自分なら、自分という土台を好きなうえで更に好きを纏えるから当たり前だけどもっと魅力的になるしかないだろなっていう展開も簡単に観える。
今、自分が自分に対してどんな眼差しを向けているか?これに気づいていたら自分の現実は少しずつであっても必ず変わっていくと思う。
今回はたまたま服だったけど、『好き』っていうのを鎧みたいな使い方ではなく、自分を更に心地よくしてくれる道具として自分のために使いこなしていけると、もっと人生は面白くなるだろうな~って思ったね。
今の自分に合った『好き』をこれからたくさん見つけていくぞ~♪