~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

たくさん愛してくれてありがとうございました

新年一発目にばーちゃんが声だけで夢に出演した約2週間後に見た夢は、久しぶりに明晰夢だった。

 

舞台はばーちゃん宅。

自分たちが小さい頃に泊まりへ行って寝ていたリビングのような畳の間。

そこにたくさんの鉢がずらりと部屋中に整然と並べられていた。

ピンクの花のようなものがちらほら見える植物だったけど、植物は総じて枯れ気味。

 

「ええ。ここに置いたんね。」

 

別の部屋にいるじーちゃんへ伝えるように話しながら、鉢を片手でヒョイと動かしつつばーちゃんがフレームインしてきた。

 

晩年は背骨が左右に潰れて背中がぼこっと突き出ていたばーちゃんだったけど、夢のなかのばーちゃんは背中が真っ直ぐで軽やかだったし若かった。

 

「こうしておけば春にまた咲くかもしれんから」

 

と言いながら、今度はじーちゃんが鉢の置いてある部屋に入ってきた。

部屋の中に置いてあるのはどうやら植物を寒さから守っているらしい。

 

が、ばーちゃんとじーちゃんが2人揃い踏みになった瞬間、気づいてしまった。

 

『死んだじーちゃんがばーちゃんと同じ空間にいるのはおかしい』と。

 

本当はばーちゃんも現実世界では死んでるんだけど、そのときはじーちゃんだけが死んでるように感じた。

 

夢だとわかった途端、この夢をどうやったら切らさずに(目が覚めずに)夢のなかで死んだじーちゃんとコンタクトがとれるか?と頭をフル回転させた。

 

ばーちゃんと同じく、じーちゃんも死んだときより30歳ほど若い感じがした。

 

見慣れない薄青色の少し厚めの長袖シャツを着ていて、右肩と右胸辺りにはジーンズ生地のような厚手の布が目立っていたのもじーちゃんが若く見えた要因かもしれない。

 

見慣れない恰好ではあったけどけっこう似合っていたので、これを会話のきっかけにしようと思った。

 

意識をもって(じーちゃんが死んでいることを知ったうえで)じーちゃんに話しているということをじーちゃんに悟られないようにしないと、夢がプツンと途切れてしまう気がしたので、話題を決めシミュレーションをしてから自然な雰囲気で話しかけてみた。

 

「じーちゃんその青いシャツ似合ってるね」

 

確かそんな言い方をしたと思う。

内心ドキドキしながらじーちゃんに近づいて声をかけた。

 

すると、じーちゃんは言葉こそ発さないものの『そうかなぁ~(照)』というような満面の笑みを返してくれたんだけど、そのときの映像がバグっていた。

 

以前、明晰夢をみて意識的になったまま夢を続けようとしたとき、景色の1つ1つがパーツごとに出てくることがあった。建物が現れて、青空が現れて、芝生が現れて、そこに車が出てくる。みたいな感じで、1つの画が出切るまでに時間がかかった。

 

そのときと今回は少し違い、カシャカシャカシャカシャと、まるでカメラの連写のようにじーちゃんの顔が変わりながらフレーム付きで流れていった。パラパラ漫画とも感じる映像がその瞬間だけ流れた。

 

シミュレーションまでしたのに、じーちゃんの笑顔を見たらもうダメだった。

これ以上、夢のなかで本当の意識を隠したまま振る舞い続けるのは無理だった。

 

そう思ったあとは、すでに全てをわかって立って待ってるかのようなじーちゃんに近づいて、ぎゅっと抱きしめた。

 

「たくさん愛してくれてありがとうございました」

 

そう言いながら、じーちゃんの背中に回した両手をさするように動かしながら、

『この温かさや感触も忘れないようにしよう』と意識しながら抱きしめた。明晰夢のいいところだ。

 

じーちゃんとハグしている横では、ばーちゃんが落ち着いた様子で結婚式の神父さんかのごとく見守るかのように静かに立ってた。

夢はそのあたりで終わった。

 

たまたま明晰夢の話を前の日に父としていたので、夢を見た日の夕食時、

「昨日の今日だったわ。久しぶりに明晰夢を見たよ。しかも、じーちゃんとばーちゃん揃い踏み☆」

そんな具合で意気揚々と夢の話をし始めた。

 

薄青色のシャツ。

厚手の生地が肩とかにあって面白いデザインのシャツを若めのじーちゃんが着ていたと話した瞬間、話を聴いていた父と母が同時に反応し、父がすぐに言った。

 

「それ国鉄時代の作業着だよ」

 

「え?」

 

母も「よく着てたよね」と言いながら頷いている。

じーちゃんが国鉄で仕事をしていたのは知っていたけど、作業着に見覚えはない。

 

「(引退後)外作業をするときにもよく着てた。肩の辺りもそうだったけど、擦り切れている部分にお袋が別の布をあてて縫ってたからそれだと思う。」

 

「わたしも見たことあるかな?」

 

「あるかもしれない」

 

「そうなのかぁ。覚えてないなぁ…」

 

もしかしたら頭の片隅に残っていたじーちゃんの記憶が引っ張り出されたのかもしれないけど、父から言われるまで『見慣れないデザインの何だかイカしたシャツ』だとしか認識していなかったから、

 

まさか夢のなかで見たものと同じものをじーちゃんが本当に着ていたなんて不思議だし、父から言われてもそれを着ているじーちゃんはやっぱり思い出せなかった。

 

ちなみにばーちゃんの四十九日のとき、父の妹である叔母にも夢の話をしたら青いシャツのシーンで間髪入れずに「それ国鉄時代の作業服だよ」と同じ答えが返ってきた。

 

お気に入りだったのか本当によく着ていたんだろうと思う。けど、わたしは未だにピンとこない。

 

ただ、夢のなかで見た作業着、しかも肩やらに別の布がついていることをわたしが言うことで、息子や娘たちには「本物の父ちゃん」だと気づかせ、孫であるわたしには「本物のじーちゃん」だったのかもと思わせる効果はあるような気がする。

 

今回の夢では、ばーちゃんが死んでることには気づかず、じーちゃんにのみ意識が向いた明晰夢だったけど、1つわたしなりに思うことがあった。

 

10年前に死んだじーちゃんは、「おばーちゃんが死ぬときに一緒にあがる(成仏する)んじゃないかな」と、8年程前にスピリチュアルカウンセラーさんから言われたことがある。

 

話を聴いたときは、まだ仏壇の上辺りにいて、ばーちゃんを見守っているようだった。

 

そして、昨年の12月にばーちゃんが死んで、どうやら年末あたりにばーちゃんがあちらの世界で目を覚まし、自分は死んだと気づいたっぽい2週間後、ばーちゃんは身体をもって、尚且つじーちゃんと一緒にわたしの夢のなかに出てきた。

 

点を拾っていくと、ばーちゃんが、じーちゃんの本当のお別れに立ち会わせてくれたんじゃないかなって気がしてならないんだよね。『もういくね』ってタイミングでさ。

 

2人一緒にいったのか、じーちゃんだけなのか、わたしの見当違いなのかはさっぱりわからないけど、わたしはただそう感じた。

 

2人が生きている間、正直色々なことがあってじーちゃんとばーちゃんには複雑な気持ちをもつことも多かった。わたしは良い孫じゃないし、じーちゃんっ子でもばーちゃんっ子でもない。

 

でも、今は「色々あったね」で全部をマルにできてるし、「ありがとう」にフォーカスして日々過ごせてる。夢のなかで素直に愛してくれたことへの感謝が意識的に伝えられたことは自分でも嬉しい。

 

どこまでが本当でどこまでがわたしの空想なのか。

 

人の夢の内容ほど興味のないものはないって聞くけど、わたしは自分の夢がなかなかに面白いので人の夢の内容も知りたがるタイプだ。

今後も素敵な明晰夢が見られ、創っていけるといいなと思う。

 

 

別の明晰夢の話▼

funfunhappiness.hatenablog.com

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもり女性へ
にほんブログ村