~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

心で手を繋ごう

不思議なことがあったので記録。

 

わたしの身内には中学生で亡くなった伯母がいる。

もちろん会ったことはないし命日も何度かは聞くが未だに覚えてはいない。

 

昨晩は、久しぶりに亡くなった人とコンタクトをする夢を見たので、

朝ご飯を食べながら夢の話をつらつらと父へ話していた。

 

そのついでといっては何だが、

伯母のことを話したくなったので話をし始め、過去にあったことの話にも及んだ。

 

そうしたら、風もないのにリビングのカーテンが動いた。

 

愛猫がカーテンの内側へと潜り、

窓越しに外を見ている時と同じようにカーテンの裾が動いたので、

わたしはてっきり、愛猫がいつの間にか移動をして外を眺めていたのだと思った。

 

が、愛猫は父の横で氣持ちよさそうに寝ている。

 

久々に『もしや?』を体験した。

 

父へカーテンのことを伝えると、伯母(姉)かもしれないね。と少し嬉しそうだった。

 

わたしも伯母だと思う現象に関しては、恐怖の感覚を一切感じたことがない。

 

20歳ぐらいの頃の話を少しすると、

その晩は部屋の明かりを煌々とつけたまま酒を飲んでいた。

 

丑三つ時でぼーっとしている中、

部屋の小窓の前で外のほうを見ている知らない女性が視界に入ったが、

全く怖くなかった。

 

白っぽい着物を着ているのだが死に装束などではなく、

白い着物地に黄色い花?模様が入っていて穏やかなエネルギーのお姉さんだ。

そのまま静かにしていたらすーっと外へと移動して消えた。

 

その時は氣づかなかったが、

現象が起こった日が伯母の命日だとあとで知ったことで、

『もしや?晩に見た人は伯母ちゃん?』と思ったのが最初。

 

正直、数少なくとも不思議な体験をあれこれ見て感じてきたなかで、

見えない世界であってもエネルギーの差(個性の差)はあるなと感じている。

 

自分が低い波動の時は低いエネルギー体と接続しやすいのも確かだが、

それだけではないとも思う。

 

重いエネルギーや軽いエネルギー、

そこにジャッジは必要ないけれど、わたしは軽いエネルギーのほうがいい。笑

見えようが見えまいが、エネルギーという感覚で露骨に体験すると余計にそう思う。

 

今日の体験に意味があろうとなかろうと面白かった。

消えることのないエネルギーを感じられるのはきっと誰だって安心する。

それが実は自分のことでもあると感覚的にわかるからだ。

 

心で手を繋ごう。

見えなくても大丈夫。

本当はいつだって誰だって繋がっている。

 

ひとりじゃないよ。

 

そんな風に言われた氣が勝手ながらしている。

 

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