きゅうりを切るのが少しだけ上手くなってきた。
高校生の頃、きゅうりをひたすら切る食物検定にクラスで唯一1人だけ落ちるという難易度の高い技を決めたことのあるわたしだけど、ようやく最近になってきゅうりが怖くなくなってきた。
今夜は冷蔵庫でしおしおになりかけていたきゅうりと、乾燥きくらげ、カニカマを使って中華サラダでも拵えようと思ってる。あとは、体力がもてば豚キムチとかもいいかもね。
『できたらいいな』
と思えることがあるだけでも、わたしとしては生きている感じがして救われる。
1日中動ける稀なときもあるけど、ほとんどはすぐ疲れてしまって予定していたほとんどができないことなんていう日のほうがざらだ。
生きていくことを疑ったことのない人たちのように、日々を当たり前に、コンスタントに、自分を生きていられたらどれだけいいだろう。…なんて勝手な思いに流さることも多いけど、
そういうことに使うエネルギーがあるなら、さっさと別のことに使えばいいのも知ってる。けど、そうなかなかうまくいかないこともまたわたしがよく知ってる。
少しずつでいい、焦らなくていい、コツコツゆっくり。
わかっていてもそれさえできないとき、存在しているだけでも素晴らしいと思えなきゃ何のために生きているのかわからなくなって苦しくて仕方なくなる。
死を見つめながら生きてきた人間は、生きるために全力で毎瞬を刻む。自動ではなく、毎瞬毎瞬、生きるために手動で頭を鎮めて舵をとる。だから勝手に疲れていくんだとも思う。
自分に疲れてもいいから、舵だけは生きるほうへ取り続けたい。
季節の変わり目や色々なことが重なっているからかこのところ心がぎゅ~っとしてる。
存在しているだけでOKだとか自分がやりたいことを、形にしたいことを、ほんの少しでもやってみて自分をホッとさせてあげたい。
『こんな時も、あるよね。』 あるあるー(*´з`)
そろそろ塩もみしたきゅうりと戻したキクラゲがいい感じになってきたかな。
サラダ、作ってくる。