~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

決めるのはわたしたち

7月初っぱなの記事がパブコメ募集のシェアになって、正直なところ『あーあ』って感じだった。

 

もちろん自分がそれを選んだし、そうしたかったから載せたんだけど、ここまでしなきゃいけないぐらいのタイミングまでついに来たか~っていう思いのほうが『あーあ』要素として大きかった。

 

元々パブコメや署名とかに興味なんてなかった人間だけど、今回だけは『ええ加減にせいよ』って気持ちがでかすぎて表現しなきゃおさまらなかったんだよね。

 

もちろんわざわざ個人情報を晒してまで表現するかどうかも色々と考えたけど、あとで後悔しないことだけを考えて今回は意見をするって決めた。

 

怒りを表現するために意見したんじゃなくて、改正案の矛盾点や疑問点、濁して記載してある部分をえぐってえぐってえぐり倒して差し上げるスタイルの文章に『おい。庶民はちゃんと観てっかんな。』っていう、一点をじっと観られたら発火するんじゃないかってぐらいの熱線を静かに、丁寧に、添えて送っといた。

 

だからって別に何かが変わることに期待はしてない。

けどさ、『おかしい』と感じたことを「おかしい」って言える分岐点のピークに来てる気がして、どうしてもこのタイミングで【個】としての音を1回差し込んでおきたかったんだよね。

 

自分の表現を我慢して自分を諦めたらどうなるかを知っているから余計にやめない。

やめられない。

確かにあの時を生きていたのに生きていた気がいない…って感じるような『悔しい』思いをするのはもう嫌だ。

 

感じたことを素直にやるだけのことにバカみたいな勇気が必要になるような世界なんて面倒くさくてしょうがないけど、1人1人が豊かさそのもので自由なんだって1人1人気づけたら、そんな世界も勝手に変わる。

 

オーケストラでみんながシンバルじゃ、ハーモニーもへったくれもないじゃん。

個性は大事だとかいいながら全員にシンバルをもたせて、同じように叩かせる正義がまかり通っていることは承知でしょう。どこまで個性という違い、豊かさを認められるかがここで決まるんじゃない?

 

もちろん、決めるのはわたしたちだけどね。

 

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