~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

たかが違和感されど違和感

ここ最近メンタルが不安定で記事も下書き行きばかりになっていたんだけど、やっと書きたかった内容の1つの資料が揃ったから記事をUPするね。

 

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リアルタイムでは一部しか観なかったオリンピックの開会式だけど、たまたま父が録画をしていたようなので『1度ぐらいは』と思い、通しで観てみた。

 

2016年リオ五輪の閉会式で次回の東京2020をPRした時のような露骨な目のマークはなかったにせよ、

 

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今回の式典でも色々と気になることはある中、特に『え?』となったのは、選手たちが入場 → 行進をしていく花道に立っているアシスタントキャストさんたちが着ていた衣装のデザインだ。

 

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漫画で使われる背景をあしらいつつ、選手たちがわかりやすいように進む方向を矢印にして示してある。矢印だけのデザインもあったけど、ほとんどのデザインには首のないイラストが描かれていた。個人的にこのシーンが式のなかで1番違和感を感じた。

 

Tシャツを着た首のないイラスト同士が手を繋いでいたり、同じくTシャツを着た首のないイラスト単体がポージングをしているようなデザイン。

 

創った人がアートだと言えば間違いなくそうだろうしその点においては何も反論はないけど、仮にわたしが演出側だったら選手が入場するような大事なシーンでわざわざ【首がない】とわかるようなイラストは描かないし使わないなって思ったんだよね。

 

わたしが手を繋いでいるデザインにしたければ、Tシャツは描かずに腕だけを描くと思う。なぜならTシャツを描いてしまえば首がないことをより強調するだけだし、顔を描くこともここでは違うと思うから。(デザインよりも選手たちに注目させたい)

 

もちろんこれはわたしの感覚であって、デザイン自体が良いとか悪いとかの話ではなく、あくまでもわたしが『なんでこのシーンで、わざわざ首がないことを強調しているようなデザインなんだろうか?』とただ感じたってことね。

 

花道のアシスタントキャストさんたちは206チームの行進が終わるまでずっと立ち続け&踊り続けていたから相当に大変だったと思う。(その後の長い話も聞き続けなきゃいけないようだったしね)お疲れ様です。

 

たかが違和感なんだけど、されど違和感でさ。

自分なりの違和感って大事だと思ってる。

 

『なんだかわからないけどイヤな感じがする』とか『なんとなくやめておいたほうがいい気がする』とかも自分だけにしかわからない謎の感覚なんだけど、【でも確かにある】って感じるものほど大事にしとくと自分の道標になるんじゃないかなってね。

 

わたしの場合、競技自体に興味はないし日本がメダルをとったとか逃したとかもまじでどうでもよくて、何なら競争がしたいなら『国を掲げてわざわざ戦わなくても各競技の世界大会で【個人】として優勝してたらそれでいいじゃん』なんて思っちゃうような人間だから、オリンピック大好き!な人からはもれなく怒られちゃいそうだわ。

 

色々な矛盾が華麗にまかり通ったり、色々なことが "金カネ" とか誰かの "正解" で動いたりする違和感満載の時代だからこそ、自分だけが感じる素朴な疑問や違和感は大事にしたい。

 

こうやって伝えてみて何かを感じる人もいるかもしれないし、別に感じない人もいる。でも、自分が伝えない限り感じたことは誰にも伝わらない。当たり前だけどね。

 

自分を捨てずに諦めずに、『わたしはこう思う。わたしはこう感じた。』って、色々な意見が豊かにある世界のほうがわたしは好きだから、わたしはこうやって感じたことをそのまま書いてる。

 

冒頭にも書いたように今ちょいとメンタルが不安定だけど、この状態さえも存分に感じて認めていけば自分にとっての違う世界を観られる気がするから信じて1歩ずつ進んでる。

 

うまくまとめられないけど、下書き行きになるよりはいいかな。苦笑

ではまたね。