~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

"今" を生きる匠たち

過去、現在、未来がない人が身内にいる。

 

2歳の甥っ子だ。

 

そりゃぁ…

時間の概念そのものがわかっていないのだから当たり前でしょう。

という結果論の話ではない。

 

ー彼の目の前で起きていること全てが "今" なのだ。

 彼にとって "今" まさにそれが起こっているのだ。ー

 

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初めてチョコを食べた時の甥っ子の映像をスマホで観た。

 

チョコを1個頬張るや否や、世界で1番の幸せを見つけたような顔をする甥っ子。

すぐさま次のチョコを手に取ろうとするが、父親がチョコの箱を持ちながら尋ねる。

 

「チョコ食べる人~?」

 

「ハイッ!!」

 

元気よく手をあげて2個目の幸せを無事にゲットできた甥っ子は満足気だった。

 

映像はここまで。

 

 

後日、同じ映像を甥っ子と一緒に観ていた母らは驚いた。

 

「チョコ食べる人~?」

 

と映像の中で尋ねる声に向かって、

 

「ハイッ!!」

 

と画面を覗きながら甥っ子はしっかり返事をしたのだ。

 

周りは大笑い。

 

でも、本人は至って真剣。

 "今" 尋ねられたのだから返事をしたまでだ。

 

大人の言い訳は通用しないので、チョコをちゃんと渡した。

 

という何気ない光景だが、

大人なら返事をしないシーンで彼が返事をするのは、

彼にはまだ "今" しかないからだと思う。

 

大人になると、記憶=過去だと当たり前のように判断するが、

彼には過去もない。ただの記憶なのだ。

昨日の何時だとかそんな扱いじゃない。『そうだった』とも処理しないただの記憶。

 

 "今" =現在だとも思っていない。

過去、現在、未来の3つで考えれば、彼は現在すらもない。

 

『3つのうち、どの地点に存在しているか?』

 

そう考えることも、

【時間】を1つの軸として俯瞰して見た時に初めて出てくる問いかけだから、

彼は今まさに本当の意味で、過去も現在も未来も同時に体験していると思う。

 

 

実は愛猫も似たようなことをする。

 

テレビなどで猫や犬が駆け回る映像が流れると、

身を屈めソッソッソッと音を立てずにテレビへ近づき緊張しながら画面を睨む。

画面の中の動物がフレームアウトするとテレビの裏に回り込み居ないかを確認する。

 

愛猫も "今" しかない。

 

フレームアウトした何者かが見つからなければその場であっさりと追跡は終わる。

 

『後で鉢合わせしたら大変だ!今のうちにしっかり見つけなきゃ!どこいった!?』

 

などと過去から未来の行動を導き出すようなこともしない。

 

 "今" 居ないとわかったら即終了。

瞬間という言葉が通じないほどに "今" しかなのだ。

 

わたしたち大人も、時間の概念を教えられる前は "今" しかなかったはずだ。

今を今とも思わない "今" とでも言うべきかもしれないが、

言葉で表現する限りは "今" としか言えないのが歯がゆい。

 

甥っ子の "今" と、

時間という概念を知ってしまった我々が言う "今" は別物なのだが、

言葉ではどちらも "今" としか言えないワケは、言葉は大人が作ったからだろう。笑

 

 いつの間にか当たり前になってしまった時間の感覚。

だが、その時間の感覚そのものがない "今" を大人だって本当は知ってるのだ。

だって、大人も子どもだった時があるのだから。忘れているだけ。

 

こんな話をしていると、年齢という数字すら何だか滑稽になってくる。

時間有りきの数字は数知れない。

…なんて言い出すと切りがないのでここ辺りでストップ。

 

時間という概念を一切交えない "今" を生きる匠たちから、

時間に縛られない感覚を思い出させてもらうと頭も心もゆったりするので、

おすすめだよ。 ではまた。