~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

ひきこもりを犯罪者予備軍にしたい人ほど愛がない~

前回の記事は、
funfunhappiness.hatenablog.com

珍しくちょっとトゲトゲしているのがわかる記事になってるよー。笑

 

何でこの記事をトゲ付で書いたかというと、

ひきこもりの人を強制的に家から出すっていう映像をテレビでたまたま観て、

なんか接し方に愛がなさすぎて、悲しくなって腹が立ってきたからなんだよね。

 

せっかくなので、

この件に関して思ったことを今回は更に具体的に好き勝手書いていくよ~。

少々のトゲは愛だ。笑

 

 

家族では手に負えなくなって、

ひきこもり支援団体の人が家に乗り込んでひきもりの人にアレコレする映像は、

自分が当事者になった5年前からよく観ていたし知ってはいたけれど、

『大切なことをすっぽ抜かしてコトが進行していく様は相変わらずだなァ』

と、改めて呆れた次第だった。

 

支援団体の人も仕事だし、依頼者もいる手前、

現状をなんとかしたいという気持ちは強いだろうけれど、

驚くほど本人への信頼や寄り添いの姿勢が 皆無 なんだよね。依頼者含。

 

とか言うと、

 

『いやいや、施設では本人の心のケアもしています~。』

『本人のペースに合ったサポートの仕方をしています~。』

『家でもやれることは支援してきました~。』

 

みたく、キレイにまとめてきそうだけれど、

だったら 家でいいやん? って話でさ。

支援団体に払う金があるなら、必要なサポートやケアは家でもできるでしょ?

 

じゃぁ、なぜ家で(家族では)できないのか?その理由は?となると、

 

・暴力があってこわい。手に負えない。(迷惑だし)

・本人のやる気がないからこのままでは希望がもてない。(働けないなら)

・これ以上の経済的負担は無理。親も高齢。(出て行って~)

 

みたいなのがきっと定型文みたいにつらつらと出てくると思うけれどさ、

支援できていた部分は真実だから本当に素晴らしいと思うんだよ。

 

ただ、

支援者側の精神状態や経済的負担が限界!となるまで、

本当の愛でもって本気で本人と向き合ってきたのか?

って、ソコを言いたいんだよね。

 

ひきこもりになってからの話じゃなく、

今に至るまで、本人との信頼関係をどう築いてきたか?の大きな時間軸の話。

大抵の場合は、相談すらできないような関係性が続いていたりするはずなんだわ。

 

ひきこもりになってからも、

「働け!」「いい加減にしろ!」って、ただ厳しく言うのが愛じゃないのよ。

衣食住をとりあえず満たして、

『人様に迷惑さえかけなければ…』って腫れ物扱いするのが愛じゃないのよ。

 

本当の愛って、とてつもない覚悟と気力が要る。

 

その愛が欠如した上で、本人とは長年 当たらず障らず で接して、

結局最後はどうにもできず、

『この人なんとかして。もう無理。』と諦めて投げ出す。

 

家族や親なのに薄情だー。という話ではなく、

この短絡的でインスタントな解決を望む愛のなさ(体験のなさ)自体が問題。

だと思うわけ。

 

 

自分の理想郷まで相手を『なんとかしてあげる(コントロールする)』ことが愛。

と勘違いして結果、見事に自爆している支援者たちの多いこと。

そして、なぜ自爆したのかは省みず『相手のせいにする』のが常。

 

そもそも、ひきこもりの人がいる家(部屋)へ、

支援団体が家族に依頼されて家に押しかけるシステムって、

<本人の意志が何一つ反映されない前提>のサポートじゃん?

この時点で、相手への尊重、尊敬、信頼、愛、まったくないスタートじゃん?

 

ひきこもりの人はよく、

『自分さえよければそれでいいと思っている』

と勝手に思われがちだけれど、逆だったりもするのよ。

と、まぁココは長くなるので今はパス。

 

日本のマスコミもここ最近、

大人のひきこもりが増えているという情報を出した途端に、

ひきこもりを犯罪者予備軍的な扱いで今までより更に誇張して報じているけれど、

今回の映像でも存分に発揮されていて、

支援団体が本人へ説得する際も【比較】がメインなのは呆れるばかり。

 

『普通、○○歳にもなってこの状態はおかしい。』などと言い、

映像内でのナレーションも、

『施設へ行きたくないのか言い訳を繰り返す!』とか、

最初から当事者バッシングをする気満々のテイスト。

 

こういう数字狙いの愛のない伝え方ばかりするから、

『ひきこもり』という『ただの状態』に、

犯罪者予備軍だのとおかしな尾ひれがつくミスリードに一役買うわけよ。

 

わたしも以前は『大人のひきこもり』って聞いただけで引いていた人間だから、

大きな事は言えない。

けれどね、なぜ『勝手にひきもりに対して嫌悪感を抱いていた』のか?

当たり前だけれど、そういう情報と教育ばかりが蔓延しているからだよ。

 

『どうして自分を表現できなくなるほどまで追い詰めることになったのか?』

『どうして自分のことを信頼できない考え方になったのか?』

などの根本原因は見ずに、今の状態を【社会的にダメ】だとただ罵るばかり。

 

具体策も言わない愛もない情報や教育がもたらす弊害は無駄にでかい。

拝金主義と物質主義ばかりに根ざした見方は、

見えなくとも本当に大切な部分が見事ににおざなりになっている。

 

ひきこもりの状態になった人も、自分の考え方のクセに気づいたあとは、

変化していくためのチャレンジをゆっくり&たくさんしなくては望む方へ進まない。

今までとはまるっきり違う考え方を取り入れて動くため勇気がかなり要る。

 

けれど、その本人の『気づき』が来るまで、辛抱強く待てる愛は、

本当の愛を理解&経験している者でなければ伝えられないし与えられない。

支援者側が愛のある体験と考え方をもって当事者と接することができているか?

つまり、支援の大前提として自分とも向き合うことが1番に求められる。

 

そこをスルーしまくって相手のせいにだけしている限り、

世の中全体が『ひきこもりのカラクリ』に気づくことはできないし、

ひきこもり状態の人も支援者も、何も得るものがないよね。

 

身近な人がひきこもりになったなら、

『自分の鏡でもあること』

『相手を変えるのではなく、自分も学びのタイミングかもしれない』

と、捉えてみることが大きな転換と光、感動の1つになるはずだよ。

 

社会的なレッテルで人間を選別して見るような愛のない社会ではなく、

身近なことこそ我が事として受け止めていけるような愛のある社会へ、

気づいた人たちから自分たちで軌道修正していこうぜー。

 

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と描いたあとに1時間たってた罠。

書きたいことかけてとりあえずスッキリヽ(・∀・)ノ♪