2014年の春からひきこもり、ずっと自分を責め続けた。
2016年を迎えたあたりで、
『自分はやれることはやってきた!』と、責め続ける自分に初めてキレた。
自分を認める、許す、愛する。
そうするしか新しいやり方がなかった。
自分を信じるしかなかった。
2017年は自分の意志で小さな小さなやりたいことを行動に起こしはじめた。
靴を洗う、美容室へ行く、歯医者へ行く、玄関の掃除。
緊張と不安のほうがずっとずっと大きかったけれど、
『自分がそう決めたんだ』と自分を信じ続けた。
2018年の春、1ヶ月間の仕事をさせてもらった。
夏には、遠方だが母の実家に久しぶりに顔を出せた。
別の機会では親戚が集まる場所に顔を出せた。
振り返ると意外と動いていたらしい。今、ビックリ。
何かが達成できたから自信になったのではなく、
『どんな時も自分が決めたことを信じてきた』
から、ここまでこれた。
1つ1つは小さくとも大きな自信、土台になっている。
『今はできない』『今はしたくない』
そう思った自分の決定もすべて信じてきた。
前だったら無理だっただろうけれど、今はそれができるようになった。
不安に思う気持ち、恐怖を感じる気持ち、それだって全部わたしの一部なのだ。
泣きながらでもいい。
それを受け入れて安心させてあげられるのもわたしなのだとわかった。
でも1人で抱える必要はどこにもないのだ。
そして2018年11月11日、
『愛する人たちに恩返しがしたい』と思った。
瞬時に『でも自分は何もできていない…』と数える自分も出てきた。
けれど、2014年のあの日からはじまった体験は、
今この瞬間でさえも恩返しの真っ只中なのだ。
『ひきこもりなのに恩返しをしているなんてなんて図々しい!』
と、わたしの頭の一部と知らない誰かは言うかもしれないけれど、
愛する人たちへの1番の恩返しは『わたしが幸せで生きること』だ。
『わたしなんか…!』とか『こんなんじゃダメだ…!』と
自分を責めている姿を見せることじゃなく、
ゆっくり焦らずマイペースでいいから、
自分に自信をもって自分を愛し笑顔でいること。
なぜ今こういうことを書いているかと言えば、
焦りそうになる自分が今現在もいるからだ。
正直なところを言えば、ひきこもりになってから焦っていない日などない。笑
その気持ちがあるからこそ、ひきこもりという状態にもなったわけで。
でもこれは、ただの思考クセなのだ。
だから、時をためればもっと和らいでいくはず。
和らいできた実感が確かにあるからそう言える。
『ユキコのおかげで気づいたことがある』
『ユキコの体験に基づいた言葉を今、使わせてもらっている』
両親が言ってくれたありがたい言葉たちだ。
知らないうちに与えていることが必ずあるのだ。
これは決してひきこもりという場面に限ったことじゃない。
誰だって生きている間ずっと与え与えられている。
役に立っていない人など、死ななきゃいけない人など誰も居ない。
…なんてつらつら書いていたら、焦りが息を潜めた。
『なんて単純で可愛い!笑 よっ!感動屋!
だからこそワタシって感じだわ~。やっぱ面白い。』
と、わたしを抱きしめながら笑っているワタシが居る気がした。
感動屋ユキコの面白人生劇場はまだまだ続く。