最近、近所に住む姪が学校帰りにうちの家の窓をコンコン叩く。
玄関ではなく人が居るかどうかがわかるリビングの窓をコンコン。だ。
ついさっきも来た。なぜか涙目である。
転んで膝を擦りむいて小さく血が滲んでいた。
「おかえり~どうしたの?あら、転んだのか。痛かったねぇ。
よくがんばってここまで歩いてきたね。ランドセルとって家にお入り。」
最近は消毒をしないらしいので傷口を水で洗ってオロナインと絆創膏で済ませた。
オロナインを生クリームと言いながら遊んで治療して帰した。
近くの自宅へ帰らずどうしてうちに来るのかは聞かない。
『彼女がそうしたいからそうしている』以外に理由がないからだ。
2日前にも彼女は来た。
どうやら友達に遊ぶ約束を破られたようで、また窓がコンコン鳴った。
ランドセルは背負っておらず、手には縄跳び。
せっかくなので30分ほど庭で遊んだ。
縄跳びでたくさん跳んだ後は、縄跳びで絵も描けることを伝えてみる。
地面に置いたら紐で絵だって描けるんだ。
ハート模様、タイヤのぬけた車みたいな形、迷路みたいなぐるぐる巻き。
「これでペロペロキャンディだね!」と棒を付け加えた彼女のセンスはピカイチだ。
子供用の縄跳びで何年ぶりか何十年ぶりか…跳んでみたら2回跳べた。
「跳べた~!」と姪が褒めてくれたので良しとしよう。
遊んでいる最中に姪がフとわたしの顔を見上げて尋ねた。
「なんで前歯が1本だけ出ているの?」
お。 チャンス到来。
「あぁこの歯?気になってた?」
「うんー。前から気になってた。」
「この歯ね、子供の歯がまだ抜けない時に上から重なるように出てきた、やる気満々の大人の歯なの。早く出たい~!って待ちきれなかったんだね。可愛いでしょ~。」
「うん」
普通の人の前歯は2本ともまっすぐ生えている。
そう気づいた時から自分の1本だけ出ている前歯を恥じるようになった。
特にカメラが近くにある時は細心の注意を払った。
笑った顔を横から見られたり撮られると特に前歯が突き出しているのがわかる。
カメラが居るときはなるべく笑わない。うっかり笑ったあとはすぐ口を閉じる。
横に人は居ないか、居るなら斜めもしくは前に行って歯に視線が行かぬよう。
そういう時代が長かったからか、
つい最近まで姉ですらわたしの前歯が1本出ていることを知らなかった。
大人になったら治せばいいし…。と思っていたが、前歯の治療は高額のうえ、
行く先行く先の歯科医に
「難しいね。」
と言われた。
突き出た前歯の後ろには空間がわずかしかなく、抜いて入れる事は不可能だ。
全ての歯をずらすか横の歯を前歯として使うか…。
う~ん…と悩んだ末にとある歯科医が出した結論はこうだ。
「もう、チャームポイントでいいんじゃない?」
この一言は、一見投げやりのようだがその先のわたしの人生には重要だった。
誰かが決めた理想の形より、わたしの形。わたしだけの形。
造形云々よりそこに刻んできた様々な体験。
・金管楽器も木管楽器も全部、歯にマウスピースがあたって痛くて吹きづらい。
・前歯裏の狭い隙間に米粒が入ると納棺されたようにぴったりはまって取りづらい。
・寝ている時、下唇に前歯が刺さって次の朝に突如口内炎を発見。
・リンゴを食べると囓った部分より1段上になぞの歯型。
・うどん1本ぐらいなら口を開けずにすすれる。
誰もそんな経験したくねーよ。って思うかもしれない。
わたしもしなくてもいいと思う。笑
だけど、前歯ひとつでこれだけエピソードが話せるのは、
それだけ人と違う濃厚な人生経験ができてるってこと。
”普通”のありがたさがわかる経験をしたありがたさ。
そしてそれは人それぞれ、別のテーマや部位で行われているってこと。
この突き出た前歯がポロリと抜けた時は、
歯科医が総お手上げで本当の歯抜けになるのかもしれない。
でもまぁその時は歯抜けの口でカラカラ笑いながら前歯の武勇伝を話したい。
『昔々、ここには1本のやる気に満ち溢れた前歯がおってなぁ~』
今は何も気にせず写真にもニッカニカして笑って写り、
前歯1本だけ口から出して人を笑わせたりと、すこぶる順調です。
姪の周囲ににわたしと同じような人が現われた時、
『うちのおばちゃんも前歯出てるよ。可愛いでしょ~って自信もって言ってるよ。笑』
と”普通”を手引きにするのではなく、”体験”を手引きにできるといいなって思います。