~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自然体のお互い様

周りに「ありがとう」を言わない人がいますか?

できれば大人。

 

わたしの近くには居ます。

居てくれています。

 

期待云々ではなく純粋になんで言わないんだろう?と30分ぐらい考えてみました。

 

結論から先に言うと、

【自分自身に対して感謝してないから】かな~と思ったのですよ。

 

これ、誰かのことを愛したり信じたりする時も同じで、

自分に対して想っていることを相手へ想うこととも通じる気がします。

 

自分の存在ってなんてありがたいのだろう~。と自分が思っていると、

相手の存在も同等にありがたい~。ので、勝手に感謝し出します。

 

少し話を膨らますと、

人間だれしも得意な部分と不得意な部分がある。

相手はわたしの不得意なところができる。

わたしは相手の不得意なところができる。

 

お互い様。

 

だから肩肘張らずに周りにお願いして助けてもらう。

自分が人へできることはやりたい範囲で助ける。

 

Aさんに何か助けてもらったからといってAさんに無理して返さなくてもよくて、

関係のないBさんが困ってたらBさんにできることをしたらいい。

そしたら、BさんがCさんをサポートして、CさんはDさんをサポートする。

そして巡り巡ってDさんがAさんを助けていたりQさんがAさんを助けていたりする。

 

そういう『お互い様~』というバランス&サイクルの時は必ず、

相手へ対しての尊敬と感謝そして自分へ対しての尊敬と感謝がある。

つまり、ただの自然体。

 

人間はひとりじゃ生きられないのが大前提であり、

『お願いをすること』や『ありがとうを言うこと』は、

借りをつくるとか人に弱みを見せること、人からの評価をさげることではない。

 

のに、素直に自分の気持ちを伝えられないのは、

自分の手のひらサイズ(できる事とできない事、個性)を認める、許すことが、

まだできていなくて自分へ感謝するような余裕もない状態なのかもしれない。

 

スムーズな人間関係を作るためのノウハウ的、礼儀作法的な「ありがとう」は、

バカみたいにわたしもたくさん言ってきたけれど、

10年前に言っていた「ありがとう」と今の「ありがとう」は、

明らかにが違うことにも今回気づいた。

 

見返りに対する感謝じゃなくて、存在そのものに対する感謝に変わっています。

そして、お願いされても『やりたいことだけ』やって満足し、

相手からの感謝で心を埋めることはしない。

 

昔は『やってあげた!』で無意識にマウントとってました。

我慢して動いて人からの評価あげた気になって… 自信がなかった証拠だね。笑

 

わたしの近くの「ありがとう」を言わない人のことをわたしは尊敬しています。

言わないから尊敬している。という意味ではなく、

わたしにはできないことをしているから本当にすごいと思っています。

 

相手は『こんなこと皆当たり前にやっている』と言うでしょうが、

できている自分へ是非もっと感謝を伝えて愛してあげてほしいですね。

 

こういう考える機会も与えてくれて、

「ありがとう。」