~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

命の熱

とある物語を観た。

そして、フと感情だけを思い出した。

背景や情景はさっぱりわからない。

 

その思い出した感情とは、

『それ、わたしもやりたかったのに!』である。

 

なんとも短絡的な怒りの感情のようだが少し違う。

どこか深くからこみ上げる命の叫びのようだったことを記憶している。

 

他の言葉で表現したいけれど、何かどれも今ひとつ当てはまらない。

 

その感情がえぐり出されたシーンは、何一つ特別でなかったことを覚えている。

何一つ特別ではないのに命が叫んだこと。

それこそが強烈なインパクトを残している。

 

些細な事でさえも『やりたい!』と爆発したナニカ。

自分には大変申し訳ないのだけれど、

今までの人生であんな命の叫びを聴いたのは最初で最後だったと思う。

 

しかも、その些細な事が何だったかすら覚えていないのだから手に負えない。

…という強烈な心残りの感情を思い出させるための”創られた”出来事だったのか。

どっちにしろその感情を感じているのは”今”だ。

 

この思い出した感情を活かすべく、いま何ができるかを考える。

考えた結果はこうだ。

 

・命を喜ばせてあげる。

・ちょっとでもしたいと思ったことをプレゼントしてあげる。

・『これもこれも…本当にやっていいの!?』とびっくりさせてあげてもいいかも。

・急には全部できないから、できそうなことを少しずつゆっくりゆっくり。

 

少し客観的な感じにしたのは、

日常的に深い深い命の叫びを聞き取ることはできていないと思うからだ。

だけど、自分にもそういう情熱があることを忘れたくない。

 

生きている誰もが、『生きている間に…する!!』という凄まじい熱をもっている。

この熱を最大限に活かす生き方ができたらどれだけいいだろう。

すべての体験に感謝しつつも、より自分らしい生き方に情熱を使う。

 

命の熱にうなされながらも、

体温のあるこの身体で体験したいことをこれからも考え行動していきたい。

と、熱を使って書きたい文字が打てました。 ぱちぱちお見事。