~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

わたしの本音に気づけるのはわたしだけ

朝、起きて歯ブラシをくわえながらリビングへ行くと目立つ付箋が置かれていた。

母の置手紙だ。

 

『悪いけど、花の水かけをお願いします。』

 

ここ最近、終わらない流行の風邪に職場が翻弄されて毎日が忙しい様子の母。

日頃はもちろん、どこか遠出をする直前でさえ花の水かけを忘れない人だから、珍しいお願いだ。

 

付箋を確認し、歯磨きをしながら1階をぐるっと回って家のなかの状況が確認できたら口をゆすぎ、ついでに体重を測る。これが日課。ちなみに体重は普段より2㎏ほど増加してた。

生理前のお決まりとはいえ、少しショックを受けている素直で可愛い自分を鼻で笑う。

 

すでに洗い終わっていた洗濯物を洗濯機からカゴへ移し、まずは自分の身体を整えることから始める。

 

白湯を飲んで、プロテイン

そのあと10分ほどしてから、セイロンシナモン+ピュアココアをかけたバナナやピーナッツバターを塗ったライスケーキ(玄米のポン菓子のようなもの。甘くはない。)を食べるのがいつもの流れ。

 

プロテインを飲んだあと少し時間を空けるのは、きんに君がやっていたので真似をしてるだけだけど、すぐにお腹も動き始めるのでトイレへ行きたくなるし、何よりこの10分が少しの家事をするのにちょうど良かったりする。

 

洗濯物を干すか?花に水をかけるか?

選ばれたのは洗濯物でした。

 

好きな動画を聴き流しながら、洗濯物をハンガーやたこ足に飾っていく。

そして、曇り空のなかでも少しの風に期待をして外へ干した。

 

さて、次はどうする?

 

一瞬、『朝ごはんよりも花の水かけを先に済ませちゃったほうが楽かな?』とも思ったけど、自分に目を向けたらわかってしまった。

 

『ここで花の水かけを選んだら、わたしの機嫌が絶対に悪くなるな。』って(笑)

 

母の珍しい頼みを後回しにする後ろめたさ(罪悪感)が、『お腹空いた!』の本音を覆い隠していた。

 

花の水かけを先に済ませたら楽かも…と感じたのは、身体的なことではなくて自分がもつ罪悪感から逃れられるから。だったようだ。

 

自分のことを満たしていない人が花へ水をあげたところで、水かけ自体も雑になってしまうし、この少しの無理が "やってあげた感" に繋がって、母へ礼を求めることに繋がったりすることまでは容易に想像できた。

 

なぜなら、昔の自分が腐るほどやってきた思考+行動パターンだからだ。

 

言われたことはきちんとやる。

自分のことより他の人のことを考える。

 

そう信じて自分の本音を見ないようにし、ずーっと自分を後回しにしてきたクセのある人たちは、こういう何気ないシーンでも同じパターンを繰り返しがち。毎回毎回、自分へ『本当はどうしたい?』と自分へ聞かないと、本音が掴めなかったりする。

 

それを自分でわかっているからこそ、行動しながらも1つ1つ自分に確認することを毎回クセづけていってる。わたしの本音に気づけるのはわたしだけだから、ほんの少しの違和感に気づくことが大事だと思う。そして違和感があるときは毎回軌道修正をする。

 

ズレては戻る。ズレては戻る。の繰り返し。

楽器のチューニングが毎回必要なように、自分も毎回チューニングする。

 

地味だけど、自分を本気で生きるための基本のことだから、自分としっかり向き合う。

 

朝から得られたたった1つの気づきだけど、自分の本音に従って動いたことで、美味しく朝ごはんを食べられ、満たされた状態で楽しんで花の水かけもできた。何か特別で大きなことをして得る満足感より、まずはこういう身近で小さな満足感と気分のよさをしっかりと自分へ与えてあげたい。

 

この日常の積み重ねが心地の良い人生を創ると思うから。