~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

でも、愛してる。無条件で愛してる。

自分のことを見守ってる何か見えない存在がいるとしたら、

「この子のやること為すこと本当に全部可愛いな♡面白いなw」って思うだろうなーw

 

って、ふとイメージした瞬間、

いや…やっぱ逆かも…。「情けない。とか、そんなんじゃダメだ。もっとちゃんと生きないとダメだよ。」的な感じかもしれない…。

 

さっきまで感じてた心地いい感覚が急に失せて、自分だけが変に浮ついてるような感じ。そして、見えない存在がいるとしたら呆れてため息をついてるような気がした途端、心身に委縮と焦りが出たことをわたしは見逃さなかった☆笑

 

「ん?ん??何でそういう見方(恐怖)が出てくるんだろう?これ、おかしいぞ。」

 

おかしいと思う根拠はふたつ。

 

ひとつめは、愛猫が教えてくれた無条件の愛の感覚。

愛猫と居住空間を共にしてるわたしは毎日、時間を問わず何回も彼に大告白してる笑

 

「大好きだよ。愛してるよ。毎瞬ありがとうね。どの瞬間もありがとうね。今日も素敵だね。格好いいね。綺麗だね。美しいね。あなたのエネルギーが大好きだよ。あなたに会えて本当に嬉しい。会いに来てくれてありがとう。あなたと一緒に過ごせて幸せだよ。愛させてくれてありがとう。」

 

かなり濃い言葉を恥ずかしげもなく愛猫へ伝えまくってるわけだけど、本当に心からそう思ってる。

 

一緒に過ごしてると自分のペースを乱されてイラッとくるときもあるし、「うるさいよ~」「今は相手できないよ」ってピシッと言うときもある。

 

夜中にウンチ掃除で起こされ、「ご飯がない」って起こされ、寝てる真横で嘔吐が始まって飛び起きて、アドレナリン全開で夜中から眠れなくなる。そんなことも日常。

 

でも、愛してる。無条件で愛してる。

 

何をしても可愛いし何をしても面白い。

彼がやること(生きてること)全部に感謝してる。

この「存在してるだけでいい」気持ちが、ふたつめの根拠にも通じる。

 

ふたつめの根拠は、このブログおなじみの「意識がぶっ飛んだとき」に得た感覚。

 

不思議な話だけど、1回だけ「何も問題がない」「ただ在るだけでいい」っていう包括的で莫大なエネルギーに触れたことがある。本当は言葉じゃ落とせない感覚なんだけど、言葉に落とすなら「愛」そのもの。ジャッジが何もないんだよね。

 

もっと言えば、ジャッジをもってることすら「別に問題ないよ~」って具合。

本当にどこまでもどこまでも愛で包み込まれてしまうから、人間的に「絶対ダメ」だと信じて「ある」と信じてるものも、そこでは、まるで「あるけどない」ように感じる。仏教だと色即是空みたいな感じかな。

 

後にも先にも1回しかない体験だけど、圧倒される愛の感覚は今のわたしのバランスをとる指標にもなってる。「人間的には色々思うところがあるけど、本当は全部これでいいんだろうな~。」と愛の視点でみると、問題だと思ってたものが途端に問題じゃなくなる。

 

あくまでもわたしの感覚だけど体験を通じて、わたしはこっちが真実だと思ってる。

だから真実からズレたことを思うと、安心とは逆のことが起こるんだよね。

 

冒頭に書いた「情けない。とか、そんなんじゃダメだ。もっとちゃんと生きないとダメだよ。」と思った瞬間に感じた委縮と焦り。これは本当の自分の視点(愛)からズレてるので起こったと思ってる。

 

別に感じなくてもいい恐怖を感じてるから「おかしい」と判断するのだけど、人間として体験するそんな「おかしさ」も大きな愛から見ればジャッジがなくて「それでOK」としかならない。

 

わたしたちが何を感じても何を思っても、何かをやらかしてもwどこまでもどこまでも本当は問題がないし愛されてる。

 

人間的には「問題だ!」「これは間違ってる!」とかジャッジしてる方が何だか楽なんだけど…そして、ジャッジをし続けてもいいんだけど、愛からみれば「ただそう思ってる存在がいる」ってなだけで、正義なんて別にどこにもないし、何なら全部が正義だから結局丸ごと包括されて中和されて、人間さんが思う「問題」が「あるのになくなる」ことが起きて、頭(エゴ)が困る。笑

 

うーんw感覚を言葉にするのは難しいね。でも、きっとこの安心感を伝えたくて歴史上の色んな人たちも頑張ってきたんじゃないかなーってよく思う。わたしはここで一部の人たちに自分なりの感覚を伝えることしかできないけど、大きな愛の感覚を自分でも忘れながらw&使いながら何か1つでも伝えていけたらいいなって思ってるよ。

 

今回の気づきのきっかけは何気ないイメージからだったけど、自分がもってる恐怖に気づくことによって「自分のことも愛猫のごとく無条件にとことん愛してあげたい!」ってより強く思えたし、もっともっと自分のなかに愛されてる感覚や安心感を浸透させていけたらいいな~と思ったね。

 

愛猫へ伝えてた濃い言葉の数々を自分へ向かって改めて言ってみたら、涙がとまらなくなったし何だか安心したので、きっとこっちが「宇宙の本当」「自分の真実」なんじゃないかなって思う。

 

無条件に自分のこと愛してあげてますか?

 

よかったら、わたしが自分と愛猫に伝えてる言葉、あなたにも言ってあげてください。

 

「大好きだよ。愛してるよ。毎瞬ありがとうね。どの瞬間もありがとうね。今日も素敵だね。格好いいね。可愛いね。綺麗だね。美しいね。あなたのエネルギーが大好きだよ。あなたに会えて本当に嬉しい。会いに来てくれてありがとう。あなたと一緒に過ごせて幸せだよ。愛させてくれてありがとう。」

 

自分のことを一番に応援してるのは間違いなく自分。

どんな状態でも愛して愛されて、緑のいっぱい豊かさいっぱいの素敵な5月を!

 

美脚アピール中の愛猫(手は短め)

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「大きな意識(愛)」に触れたときの記録記事

funfunhappiness.hatenablog.com