~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

「誰かからしか得られない」と思っていた「安心感」

久々に「誰かに助けてほしい」って思っちゃったけど、そこから気づいた話。

 

先に伝えとくけど、誰かに助けてほしいと思うことが悪いって話じゃないからね。

 

ひきこもりから脱していくときにも同じようなことがあったんだけど、自分ではもうどうしていいかわからずに今すぐこの苦しさから楽になりたいとき「鶴の一声」がほしくなるんだよね。

 

自分への信頼が今までよりもグンと下がってしまって、無力感や無価値感が強くなってるとき、手っ取り早く「安心感を得たい」と思ってしまう。

 

去年の夏ぐらいから、わたしの気分転換方法は主にドライブをすることなんだけど、やっぱり定期的に出かけたり行く場所が固定されたりしてくると飽きがくる。かといって、別に新しいどこかへ行きたいわけじゃない。

 

何も考えず、とりあえず命を守るために運転に集中して、車で流す音楽を口ずさんでアレコレ考えてしまう負のループを切りたいだけ。

 

そうすると少しの間「魔法」がかかって、ネガティブなことを考えなくなる。先のことを深刻に考えなくてもいいかーって気分になる。けど、翌日には魔法が切れて気分が落ちてくる。まるでアルコール中毒のようなドライブ中毒で興奮させて麻痺させてる感じ。

 

その麻痺も最近ちょっとずつ効かなくなってきて、これがお酒だったら量が増えるところなんだろうけど、ドライブの距離を増やしてもガソリンとわたしの体力がなくなるだけなのでそうはしない。

 

ひきこもり後の9年間、自分なりに頑張ってきたけど「思ったより生きてることが全然楽にならない…」、「でも、ひきこもっていたときみたいにはなりたくない…」「今できる範囲の気分転換をしても気分が転換できなくなってきた…」が現在地。

 

不安な気持ちが強くなって、昨夜「もう自分ではどうしようもできない」「誰かわたしを救ってくれー」みたいな気持ちになった。

 

前から少し気になっていたメンタルクリニックを調べたり、2016年あたりに受けたスピリチュアルカウンセリングの状況を調べてみたりした。

 

結果、メンタルクリニックは少し前から休業してて、スピリチュアルカウンセリングは今はもうやってないようだった。

 

諦めきれなくてカウンセラーさんの昔やってたブログから携帯の電話番号をメモってみたけど、そのときふと思ったんだよね。

 

「電話をかけてまで何を聞きたいの?どうしたいの?」

 

聞きたいことがたくさんあるはずだったし、誰かがわたしの不安になる何かを特定してアドバイスをして解決までしてくれるような気がしてた。

 

けど、冷静に考えたら何もなかった。自分がどうなりたいか?より「楽になりたい」しかなかったし、そこに自分への信頼はゼロで、「無力なわたしを誰か救ってほしい」しかなかった。

 

誰かを求める気持ちは当たり前のことだし、自分がきついときこそ大事だと思う。

でも、「自分は無力なんで!なんとかしてください!」みたいな状態は、健全なスタートじゃないと思う。

 

ひきこもりから脱するときも、たくさんの心理カウンセラーさんの動画を観て「助けてもらおう」「鶴の一声で何とかしてほしい」という気持ちでHPを覗いたら、「自分で変わろうと思わない人は5年経っても10年経っても変わらない」と書いてあってショックを受けたと同時に、自分のなかにある強い依存心、他人軸に気づいた。

 

9年経って、ドカンと無力感や無価値感がきた今、また同じことをやってた。

けど、また同じように気づいた。

 

楽になりたいのも、誰かに頼りたい気持ちになるのも本当。

でも、「自分は無力なんで!」は、違う。

ここのスタートラインを間違うとたぶん変な宗教とかにハマるね笑

 

無力感や無価値感を感じてる自分がいるのは本当。

でも、間違っちゃいけないのは本当は決して無力ではないし、無価値じゃない。

 

この2つを包括して観る視点がもたらしてくれるものこそ、「誰かからしか得られない」と思っていた「安心感」。

 

もちろんね、他人とのあたたかい交流や信頼が体験を伴って築かれていくことも同じように大事だと思う。目に見える部分を使って目に見えないところを作るって感じよね。

 

でも今回、知らず知らず自分を無力にしたまま誰かへ救いを求めてることに気づいて、包括的な視点、これをわたしは「大きな意識」の視点であって自分たちの根源的な視点だと思ってるんだけど、そこに視点を戻したら涙がぐわーって出てきて安心したんだよね。

 

見えないところを安心させてから、見えるところを使ってより安心感を高めていく。

 

まだよくはわからないけど、この順番は今の自分にとって合ってるような気がするし大事だと思った。ネガティブに引っ張られ過ぎて疲れて、自分ではもう何もできないような感覚になってるときだからこそ、一旦冷静になって今感じてる事実と、そうじゃない事実を同時に観る目をもつ。

 

なんて地味で、なんてマニアックなことをやってるんだろう…と自分で思うw

こういう出来事を使いながら、1つ1つ自分のことをより理解していこうとしてるんだろうね。

 

包括的な大きな視点からずり落ちてしまうことは多いけど、自分のパワーを手放すことなく、無力感や無価値感すら「ただ在るね~」って具合で引っ提げながら、いま自分ができることを淡々とやれたらいいなと思うよ。

 

何回も何回も同じところで躓いて、何回も何回も同じように気づく。

少しずつでいいから、自分が安心できる感覚をブラッシュアップして本当の意味で楽になっていけたらいいな。

 

自分のなかにある大きな意識の声が鶴の一声になる

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