~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

10万円のネックレス

「みてみて~♪ 綺麗でしょ。このネックレス。10万円のネックレスだよ♪」

 

首からさげたキラキラのネックレスを自分の手に乗せて両親にドヤ顔で見せる。

 

母:「え~??10万円?笑」

 

父:「…? …??」

 

それぞれの反応をもらったあとに、

 

「ヒヒッ♪ 本当は500円。安いでしょ。笑 可愛いと思って雑貨屋さんで買ったんだ♪」

 

って、ニコニコ顔で答えた。

 

「えー♪綺麗じゃん。何かキラキラしてるの着けてるなぁって思っては見てたよ。」

って、母は感想を。

 

父は、

「自分がそんな冗談を言ったらバカにされるだけだろうなww」と、

母をチラチラ見ながら自虐的に我が事として振り返ってた。

 

ただこれはドッキリをすることが目的でも、反応を得ることが目的でもなくて、

500円のネックレスであっても、わたしが10万円のネックレスだと勝手に思い込んで、

その意識で使うことはできるよね?って発想になったから、ただやってみただけ。笑

 

10万円のネックレスをポンと買ってきた意識ってどんな感じだろうか?

その10万円のネックレスを普通に首からさげているってどんな気持ちだろうか?

 

という絶賛頭お花畑的な実験を、

デザインが気に入った500円のネックレスを使ってやってみた。

 

そうするとさ、

500円という現実はもちろん変わらないんだけど何だか品がそれ相応に見えてくるのよ。

 

例えば、ネックレスの取り扱い方がちょっと丁寧になったり、

『どうみても500円には見えないぞこれ…。』みたいな謎の麻痺だったり、笑

10万円のネックレスがポンと買えて当たり前のように着けてるわたし、最高やーん。

 

とかね、もうわけのわからん域まで行くわけ。基本、妄想族だから。笑

 

でもね、わたし別に高いネックレスが欲しいなんて思ったことないわけ。

それより、値段関係なく『イイナ』って物が買えたら、

それが別に100円だろうと100万円だろうと関係ないって感じなんだよ。

 

だって、自分がそれで気分がよければOKなわけでさ、

値段は高くても自分が気に入らないデザインのやつだったら最高に気分は悪いもんね。

 

ただそういう意味で、

高くてデザインがよくて~っていう物を買えた時の自分を想像したことがなかったわけ。

だから、今回せっかくなのでそれをやって楽しんでおいたし、今後も継続予定だよ。笑

 

ネックレスを例に出して話したけど、これは自分に対する見方も同じことだよね。

 

『自分は価値がない』っていう意識と、

 

『わたしが価値そのものなので、

 当たり前だけどわたしが着たものは全部に価値があります。べらぼうに光ります。』

 

みたいな意識だったらさ、そりゃ意識相応に違って見えてくるよねって話。

 

どんな物を身につけているか?じゃなくて、どんな意識を身につけているか?

 

自分をどんな風に扱っているのか? 自分という存在にどれだけOKを出せているのか?

 

結局、こういう意識の違いだけなんじゃないかな。ってまじで思うようになってきた。

それはやっぱり自分が本来そういう意識だったことを受け入れはじめたからだし、

今しんどい人たちも今は忘れているだけで実際はみんな一緒なのもわかる。

 

本当は何から何まで全部自由なんだろうなって思わざるを得ない感じ。

 

でさ、いつか10万円のネックレスをこの現実でポンと買える時がきたら、

この500円の時のエピソードを語りたいと思ってる。

だってお花畑過ぎてめっちゃ面白いじゃん。笑

 

「ウケるwそんなことやってたのww」って言われたい。笑

 

というね、そういうアホみたいな妄想だけはイヤでも捗るので、

頭だけは好きにやっておこうと思いますよー。みなさんもどうですかー。笑

 

 

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10万円のネックレスだよ!(*´д`*)笑