~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

この幸せは誰だって食べられる

今日の朝ご飯は至福だった。

 

冷凍をしていたラップご飯をレンチンし、

ラップのままのよそわないご飯に味付けのりと小さな沢庵。

 

カーテンの隙間から差し込む朝陽が、食卓をスポットライトみたくあたたかに照らす。

 

ライトに照らされた湯気つきご飯にのりを纏わせて口へと運び、

ゆっくりと味わって食べたらもう幸せのため息がでるぐらい最高に美味しかった。

 

味を言葉に直さずにただただ感じて幸せを噛みしめていたら、

 

『ここに半熟の目玉焼きがあったらどれだけ最高だろうか!』

 

と望みが出たので席を立って好みの具合まで卵を焼き上げた。仕上げに塩こしょう少々。

 

卵焼き用の小さなフライパンがラップに当たってとけないよう、

ご飯の上へうまく目玉焼きを滑らせてのせることに成功した。

 

もはや美味しい未来しか見えない。

 

いそいそと再度食卓へと着き、とろんとした黄身を割って醤油をほんの少したらたら。

黄色くなったご飯と小さく割った目玉焼きを味付けのりで包んでいざ実食。

 

知ってた。

知ってたけど、幸せすぎて悶絶した。

 

『これこれこれこれ!最っ高っ!!』

 

どれどれ、次は沢庵を挟んで…

 

『…!!うんまっ!たまらんーっ!』

 

そんなこんなで、

最後の一口まで美味しくて美味しくてたまらない本当に至福の朝ご飯だった。

 

ラップご飯、味付けのり、小さな沢庵、目玉焼き。

 

『感じる』ことができなければ、

例え高級ホテルの立派な朝ご飯だったとしても決してこうはならないって思った。

 

庶民の意地なんかじゃなくて、

幸せを感じて噛みしめることができること自体が『幸せ』なんだ。

 

この幸せは誰だって食べられる。

最高の自由だ。

 

 

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