~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

そのままを生きてみる

ぷつりと心の電気が切れて虚脱感を味わっている1月の末。

 

いわゆる鬱状態というやつで、感情と表情は最低限しか動かないわりに涙は出る。

飽きるほど通り過ぎてきた同じ時を今回もやり過ごそうとしている。

 

以前は鬱状態になると自分のことばかり責めていたけど、

最近のわたしはなるべくそちらへ向かわぬよう自分のことをよくよく褒める。

トイレついでに鏡を覗いて自分に言う。

 

『痒みも(心の)痛みもあるなかでよく頑張って生きてるよ。ほんと。』

 

去年もそうだったけど、今年も身体の痒みが出ている。きっと難治性の湿疹。

痒みが精神的にもしんどさをプラスするのはアトピーがひどかった時に思い知り済だ。

 

それらのことから意識を別のことへ逸らして次の1歩を生きる手助けにしたりもする。

 

ほんの少し気力が戻ってきた時に、

それができたから何だというんだ。ということをあえてやって、自分の様子をみる。

 

今日は夜中に封筒を作製してみた。

買い替えた小さな財布に入らない札を入れたかったからだ。

 

動画サイトで作り方を真似て完成させ、動画の投稿主へお礼のコメントを書く。

投稿から数年が経っているけどコメント欄は真っ白。

 

あなたが創ってくれたおかげで助かった。役に立った。あなたがいたから。ありがとう。

そういう気持ちを乗せて書く。

 

目に見えて届かなくても良いから感謝だけは届けたいと思うのも、

HSPらしく相手が自分だったらと思うからかもしれないね。ゴマすりではなくてさ。

 

コメント後すぐに返信がきた。

投稿主さんも動画を活用してくれたことに喜んでいた。

 

あと1歩を生きてみようと思って淡々とやったことが誰かの喜びになるなんて、

封筒を作る前の自分にわかるわけはなかったね。そう、これだから人生は困る。

わかった気になどなれないし、絶望をしている場合じゃなくなる。本当に困る。

 

そうやってぶつぶつと言いながらも鬱状態すら楽しんでしまえばこちらのものだ。

 

どーんと落ちて、どーんと悩んで、それでも生きているのだからもうすごい。

そこから次の1歩を出して、わけがわからないままもう1歩まで出して、

『あんよが上手』な自分に拍手喝采をおくるほど不器用な生き方でも生きてりゃいい。

 

そうやって自分をヨイショしてね、生きていくんです。

自分を交代できる人は誰もいないから、自分であることを認めるっきゃないから、

そのままを生きてみるんです。

 

あなたが生きていてくれたからって、あなたのおかげって、自分にも言いながらさ。

素直に今は思えなくても上書きで染み込ませながら、自分を歩く。

 

それぐらい自分に必死なわたし。が、いいじゃない。

 

 

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