~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

最高すぎて最悪だ

レジを打ってくれた店員さんに、

「ありがとうございます。」

と言うのが普通だった。

 

手刀を切りながらお釣りを受け取ることもいたって普通だった。

 

レストランで料理をもってきてくれた店員さんにも感謝を伝え、店から出る時には、

「ごちそうさまでした。」

と言うのも普通だった。

 

だって、自分ではできないことをしてくれている人たちが居るからこそ、

自分の生活だって豊かになったり成り立ったりしているのだ。

 

だから自分は感謝を伝えているだけだと、自分では本気で思っていた。

 

でも最近読んだ心屋さんの本に、

『店員さんにお礼をするのをやめてみてください。』

と書いてあって、見た瞬間、心の奥がゾッとした。

 

想像豊かなわたしのこと、そのシチュエーションは容易に想像ができた。

もう考えただけでゾワゾワするのだ。

 

『店員さんに "ありがとう" も "ごちそうさま" も言わない!?』

『タクシーを降りた時にも "ありがとう" を言わない!?』

 

怖い。

 

なんと、感謝を伝える裏にあったのは恐怖だった。

 

人に迷惑をかけたらいけない。

いい人に見られたい。

嫌われたくない。

 

人への感謝があるのは嘘じゃない。

けど、自分に恐怖があるのも嘘じゃなかった。

 

気づいた。

 

だから、自分の罪悪感が消えるまでお礼を言うのをやめてみることにした。

 

昨日はその第1発目。

散歩がてら立ち寄った衣料店でチャレンジをした。

 

レジの列が長くなったのを見てすかさず隣のレジを解放し、

「お待ちのお客様どうぞ!」「ありがとうございました!」

終始笑顔で接客をしてくれて、もう非の打ち所がない店員さんがめでたく第1発目。

 

最高すぎて最悪だ。

 

『ここは意識をして…!』

と、サッとお釣りを受け取り、商品を手にしてレジを後にしたが、

その場から動く時は怖くて怖くて店員さんの顔さえ見られなかった。

 

『まさか、お礼を言わないことがこんなに怖いことだなんて…。』

 

隠し続けていた罪悪感がものの見事に感謝の裏でボロリと露出した。

 

よかった。気づけて。

 

これでまた1つ、自分を生きる選択肢が広がる可能性を見つけた。

すぐには変わらないけど、素直に自分を表現できる可能性があるならやってみる。

 

HSPで相手の気持ちを深く考えて行動できる自分も最高に面白いけど、

まずは相手と同じぐらい自分の気持ちも深く考えて行動できたら、

もっと最高で面白いと思うもん。

 

勇気もエネルギーも人一倍必要かもしれないけど、『できない』なんて思わない。

わたしが『そうしたい』と思う限りは、いくらでも可能性ってあると思うし。

 

そんなわけで、

自分とみんなをハッピーにするためにも、迷惑をたくさんかける自分をもっとやるね。

 

それでも

『いいんだな』

ってわかったら、

 

誰かが思う可愛い迷惑にも、

心から『いいんだよ』って言えるようになれるはずだもの。

 

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