データの整理をしようとパソコンを開いた。
パソコン本体よりも外付けHDDやUSBなどにどっさり溜まっているのが写真や動画。
特に写真は枚数が多いので出力し出すとキリがない。
溜まるばかりのデータを何とか活かせないかと、
10年前ぐらいには動画編集をして身内向けへDVDなども作ったりしていたが、
今のノートパソコンでは残念ながらグラボのスペックが低く編集は無理っぽい。
外付けグラボも検討したけど今は手が出せる値段ではなくお預け状態。
今年の初めに動画編集ソフトを買っただけに残念でならぬ…(・ω・`) が、
そんな時もあるよね~。と機会を待っている。
それに、動画が作れたとしても元データを捨てることってなかなかできない。
現に10年前に動画編集で使った素材(写真や動画)も見事に残っている。
どうしたもんだろうかと悩みつつ、去年の暮れに撮った動画もついでに開いてみた。
いつもだったら自分はカメラマンに徹して自分の声や姿は撮らなかったけど、
去年は自然体で周りと会話をしながら自由に撮ろうと決めていたのを、
パソコンから自分の声が聞こえてきてうっかり思い出した。
うっかりついでに、2本目の動画を観ていると思いもよらないことを思った。
『あれ?わたしの声ってイイ声じゃん。』
今までの人生でそんな風に自分の声を思ったことなんて一度もなかったので、
思った瞬間にわかりやすく頭がフリーズした。
なぜそう思ったのか?のポイントをハテナまみれの頭で幾つか挙げてみるも、
たぶん全部が絡んでる。
思うように動かない頭としばし対談をしながら勝手にポイントを総括した結果、
自然体の自分を受け入れるタイミングが今だったのだろうということになった。
ついでに言うなら、きっと今までに聞いた自分の声は自分で作ってた声だったのかも。
周りの人に合わせて自分を演じて発していた声というか。
もちろん演じてたっていう意識はないけど、たぶん勝手に演じてた。
だから稀に撮れていた声も自分らしくない声なので自分でイヤだったんじゃないかな。
そう考えると今回初めて自分の自然体の声を聞いたのかも。
実験的な感じで気軽に撮った動画だったけど、思わぬところで実験結果が出た。
なにより、
万人受けするような声だからイイ声だと思ったのではなく、
単純に自分の声が素直にイイ声だと自分で思えたことが1番デカい。
最高で究極の自己満足。
こういう満足が生きていくうえで大事なんだろうなァと他人事みたいだけど思った。
誰かの基準じゃなくて自分の基準で世界を観られる幸せ。
ひょんな出来事で気づいたけど、やっぱりこの方向で間違ってないって思えた。
どの方向でも間違いなんてないけど、自分がなりたい変化への方向はこっち。
それが改めてわかったからラッキーだ。
自分を信じながらまたゆっくり進んでいこうと思うよ。