~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

不自由な時にこそ観たい自由を観る

熱が高いからと苛立つのではなく、

体温をあげて免疫細胞がより活発に動けるようサポートしてくれているのだと思い、

『身体総出で頑張ってくれているんだね。ありがとうね。ありがとうね。』

と感謝をする。

 

そうするとスコンと何かが抜ける感じがする。

 

今、この瞬間治っていない現実だけにフォーカスをして落ち込むのではなく、

『この体験でさえ生きているからか。』

『治ったら何をしよう。』

『治りました。ありがとう。』

と視点を変える。

 

そうするとスコンと何かが抜ける感じがする。

 

人間誰しも身体がある故に痛くて苦しいのは御免被りたいものだが、

その現実と同時に何を思うのかは全てが自由であることを忘れたくはない。

 

それは何も病気の時だけではなく、どの瞬間にも存在する。

 

どう受け取り、どう扱い、どう選ぶか。

どこまでも自由だからこそ自由であることは忘れやすい。

不自由な時にこそ観たい自由を観る。

 

そうするとスコンと何かが抜ける感じがする。

 

絶対に必要だと思っていたモノが、

達磨落としのようにスコンと何も問題なく抜けてしまったとき、

どこまでも自由であることの本当の自由さ加減に圧倒されて肩の力が抜ける。

 

今見えている現実は1つかもしれないけれど、

その現実をどう捉えるのかはどこまでも自由だと気づいた時に全てはまた応える。

 

観たい現実を忠実に、その通りに。

 

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