~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

マスクを外してもいいですか?

情報を知って通り過ぎていく。

でも、知ったことで恐れることもあるよね。

 

そんな時は、"恐れている自分"と向き合ってみる必要があるかも。

(もちろん、恐れを楽しみたい人は向き合わなくて大丈夫♪)

 

大きな台風も、

世界的な風邪も、

風邪の注射も、

 

全ては "恐れ" で動いている。

 

『こわい!こわい!』

 

と感じている自分を責める必要は全くないけど、

もしこわい状況から抜け出したいのなら自分が何に恐れているのかを観る必要はある。

 

"箱の中身はなんだろな?"っていうゲームあるじゃない?

 

触る人は終始『こわい!こわい!』と言いながらも頑張って中身を当てようとする。

でも、最初から中身を知っている観客は笑って楽しんでいるよね。

 

触る人が恐怖を感じるのは "知らない" からであって、

観ている人が楽しめるのは "知っている" からだよね。

 

では、今の社会や世界の情報をたくさん知っているのに恐怖だけを感じるのはなぜか?

 

それは、知っている(伝えられている)情報が "恐れ" だけに偏っていて、

尚且つその情報だけが真実だと信じて自分がそのまま素直に受け入れているから。

 

例えば、箱のなかに入っているものが安全に飼育された『蚊』だとする。

(もうちょっといい例えがあったらよかったのだけど・・・。そこは無視で!虫だk)

 

恐怖を煽りたい人たちは、

『毒があり、刺します!!アレルギー反応も出るので気をつけてください!!』

と物騒な情報をたくさん教えようとする。

 

怖がる人を見て会場は大盛り上がりかもしれないけど、

触る人は最悪の結末を想像するだろう。

 

でも、蚊のことを知っている人たちは冷静だよね。

 

『別に刺されても痛くないし、アレルギー反応って言ってもただ痒くなるだけ。笑

それにそもそも、命が危険に晒されるようなものなんて箱に入れるわけがない。』と。

 

全体像を知っているからこそ笑って "恐れない" という判断ができるのだ。

 

1つのものの見方は様々な情報(視点)によっていくらでも変わる。

 

それは白か?黒か?正解か?不正解か?という見方ではなく、

たくさんの点をつなぎ合わせて回転をさせながら全体像を探りつつ見る感じ。

(円錐も真上からみたら○だけど、横からみたら△に見えるでしょう?)

 

安全に飼育された蚊を、

誰かから教わった怖い情報だけで、"恐怖のナニカ"として怖いまま完結させるのか、

他の情報も取り入れながら、ナニカの姿を自分なりに考えて捉えてみようとするのか。

 

この違いは、

 

最終的な判断を

他人が決めているのか?

自分が決めているのか?

 

であることも合わせて知っておくと面白いよ。

 

自分で決めるという権利を他人に渡してしまった人は、

誰かからの命令や指示を待たなきゃ動けなくなる状態に自らを置いてしまう。

 

『マスクを外してもいいですか?』

『打てと言われたのでワ九チンを打ちます。』

 

そんな状態が悪いとは思わない。

 

けど、その状態が自分にとって苦しかったり違和感があるのなら、

1度立ち止まって自分で決めるための準備や練習をしてみるのはどうかな?

 

1つの情報だけを見ている人にとっては少しクセのある情報かもしれないけど、

これも1つの "点" だよー。という動画を下に載せておくのでよかったら観てね。

(たぶん近いうちに消されるかもしれないので観たい人は早めにどうぞ。)

 

1つの点から正解を探す!(間違いを探す!)のではなくて、

パズルのピースを少しずつ増やすかのように点を手に入れていき、

最終的には自分の観たい絵を自分で完成させることができるといいね。

 

ではでは!9月もよいお月を!

 

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Urgent Message about COVID -19 Dr. Carrie Madej 日本語字幕バージョン