~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

1つずつを歩いている

氣が散らばって、

完了させたい事が渋滞しそうな時は、こう考えるようにしている。

 

どうせ1つずつしかできない。だったら、1つずつ丁寧にやろう。

 

丁寧に、というのは多少建前的な部分もあるが、

だよねー。と自分に対して客観的になり、開き直るには丁度いい言葉だ。

 

皿を洗いながら、後で麦茶を作っておこうと決めたのち、

動かしていない車の暖気運転もそろそろしておかないとなァと思い出したと思ったら、

おっとっとその前に、

さっき食べたスパゲッティの口紅が口元にはみ出ているのではないかと氣にし出す。

 

一遍には出来ないとどこかでは分かっていながらも、

氣という名の意識が散らばっている時は頭のマニュアル通りにしか動けなくなってくる。

 

そうなると自動運転のようになり、任務を遂行&達成するためだけに動き始める。

それと同時に自分を客観的に観る視点もなくなるので、

マニュアル通り進まないと大変なことになると頭が勘違いしてイライラもしてくる。

 

意識が意図して自分を動かしているのか。

意識ここに在らずでマニュアルにただ自分が動かされているのか。

 

意識が長期不在になる前に、落ち着き払うよう自分へ促す。

まだ埋まっていない先の空白を体験せずに、今を体験するよう意識を呼び戻す。

 

結局は、体験したその1つずつがあってこそしか何事も完了しないのだ。

 

足元の感触を楽しみながら1歩ずつ歩いていればそれでいい。

思っていたことが出来ようが出来まいが、今を生きている。

それでいい。

 

1つ1つを見事に味わえていればただそれでいいのだ。

 

という意識に自分を戻すことができたことさえも、

1つずつの賜物だー。

とか何だかんだ言いながら本日もゆっくり、ゆっくり。1つずつを歩いている。

 

 

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