久しぶりに灯籠を灯してみた。
木枠の中に打たれたようなガラスがはめてあるので、
炎が揺れるたびに灯籠の足元で様々な形の光がゆらゆら踊る。
火はとてつもないパワーをもっているのに、
使い方次第ではこんなに静かな佇まいになるのだなァと改めて驚いてみる。
(人とて同じだろうけれど)
小さな火であっても、
そこに灯っているだけで今のわたしにとって不要な思考のあれこれが消える気がする。
とっちらかった思考の断片の角からジジジと火がつき灰になって、
元々静かだったように、どーでもよくなる。
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何事も意識であり気の持ちようなのだろうと最近よく思う。
『ダメだ』と思うのも自由、
『OKだ』と思うのも自由、
『ダメでもOKでもそんなの関係ねぇ』と思うのも自由なら、
『そもそもなにもねぇ』ことも自由なのだなーと。
自分が楽になる時って静かな自由をしっかり感じる。
その時って言葉の中にいないのね。
頭で考えてないっていうか、思考の中にいなくて、思考をただ観てる。
何も考えないことがイイ!という話じゃなくて、
何を考えても何を考えなくても、
どう感じててもどう感じなくても、イイよー。
って、ただ俯瞰してる感じ。
そうなると勝手に静かになるのだけど、
それはジャッジしなくてイイってわかって安心するからかもね。
自分のお茶目な思考に全部『イイネ👍』して手放す。
灯りから教わる234の夜。(令和2年3月4日)感謝感謝。