『愛は光のことではない。』
言葉を少し変えると、愛は光だけではない。
愛は "人間が思う光と闇" を全てそのまま受け止めている。
良い悪いのジャッジがない。
問題そのものがない。
全ての調和とバランスがとれている。
正直いって愛の感覚を言葉・文字に落とすことは不可能だと思っている。
なんとか説明を試みてはいるけれど全くもって言葉や文字では重すぎる。
わたしは人間をやっているのでこう思うことがある。
『光だけが正義だと謳う愛めいたものには疑いをもったほうがいいかもね。』
でも、愛はこんな感じ。
『疑うことも、疑うことがなくとも、何も問題なし。
どうぞあなたが思い感じるままに生きて。』
人間的2極の価値観をもったままだと少し物足りなくなる程だし、
わたし自身も『でも問題ないんだよなァ…これ…』と無駄に揺れることばかりだ。
なんでこういうことをここに書きはじめたか自分でもよくわからない。
でもまァ、ぼんやりしている時にはよくあること。
ここまで書いて、わたしなりに伝えたいことが出てきたので少し付け加える。
愛の状態に戻ろうとする人たちを戻さないようにする言葉は聞き流すといい。
(別に戻りたくない場合は今の価値観を存分に楽しもう。)
急かすような言葉、こっちは良くてあっちは悪いなどのジャッジ、
誰かに自分の自由を渡す言葉(○○様が助けてくれる)、同じ土俵で争う姿勢の言葉。
愛そのものは、
タイムリミットを決めたり、ジャッジをしたり、否定し排除したりしない。
全てOK。全て肯定。全てマル。
何でもいいからこそ、自分で選ぶ必要が出てくる。
(何度も言うけれど、愛の状態に戻りたい人だけね。自分らしく生きたい人。)
自ら選択肢を探しつつ決める。
何となく正解だと信じていたことにも1度疑問をもった上で決める。
視点がどんどん変わっていくことも、自分の変化もどんどん許す。と決める。
その結果、
今のわたしが決めたことを許し認め信じられる。
さらにその結果、
今の相手が決めたことを許し認め信じられる。
『それでいい。』
その状態は愛そのものだと思う。
困ったことに愛には問題がない。
だからこそ "問題" を作って悪を退治するような正義の光では、愛と真逆なのね。
まァ、それでも問題がないのが愛だけど…。←狭間で揺れている。
ややこしい。けど、シンプル。
問題がないと難しく感じるのが人間。
困った困った。笑