4日に愛猫が体調を崩したが、少しずつ元気になってきた。
げっこ(うちでは猫の嘔吐のことをこう呼ぶ。たまに応用→げっこ仮面。)は、
猫たるもの当たり前だけれど、今回はいつもより回復が遅くて、
『必要以上に気にしないように…』という思いとは裏腹に、
ここ数日は思いっきり気になってた。
3日目で、ようやくいつものご飯の量の半分ぐらいまで食べられるようになった。
便も少ないけれど出てくれている。
できることが1つ1つ増えるたびに、愛猫の意識と身体に感謝する。
そんな中ふと思った。
元気じゃない愛猫と、元気な愛猫。
どっちの状態であってもこの子はこの子なんだよなー。って。
当たり前のことを言ってると思う。
でも、意識して考えたことなかったなーって。
やっぱり愛すべき家族の具合が悪くなったら『元気になってほしい』と思う。
それは当然だ。
でも、こちらの不安や期待が強いと、
『治ってほしい』『元に戻ってほしい』『いつも通りに…』
の方ばかりへ意識が向いてしまう。
それはどこか、
今の相手を『壊れちゃった』『受け入れたくない』状態に近い。
完璧だったロボットが壊れてしまったかのような、
元気であることだけが正しいような、
そんなわけないと本当は知ってるのに無意識で願ってしまう感じ。
とても人間ぽいなって思う。
認知症の親を介護してる子どもさんのパターンと似てるかも。
完璧なころの親の姿が勝って『しっかりしてよ!』『なんで…』と思ってしまう。
愛する相手がどんな状態でも受け入れる。
わかっちゃいるけど本当の愛ってすごく胸がキューってなって泣きそうになる。
そんな愛を静かに教える愛猫。
本当の愛ってたぶんこういう愛。
またありがとうが増えた。 ありがとう。