椅子の背もたれに掛けていたモコモコの上着を椅子に腰掛けたまま羽織ったら、
見事に上下逆でお尻の辺りにフードがある。
ぱっと見ポンチョのようになったが、
別にそう不具合もないのでそのままPCに向かっている。
変な刺激だがこれでいい。
昨日にはなかったことを体験できた。くだらないけれどたぶん大事だ。
ここ最近、3日間ほど昼夜問わず泣いてしまうことが多かった。
ティッシュの減りが馬鹿みたいに早くて途中からタオルにしたほどひどかった。
6月辺りの記事を見直すと心身の状態が何だか似ていて、
『これだけ』しかできていないと思っていても大丈夫だと、
6月の自分から再度念を押された気にもなった。
がむしゃらにナニカをするのではなく、
がむしゃらに自分を生きるためにどう考えたらいいのか。
罪悪感や無価値観を抱える自分と接しながらどう行動へ移していけばいいのか。
心揺さぶられるままに泣いてみたら案の定、目も腫れた。
が無論、6月と全く同じ状態なわけはなく、
今の自分を俯瞰したり考え方のバランスをとる方法を掴もうと必死にもがいた。
無意識の涙活3日目。
『一部(ワンシーン)だけを切り取って判断するな』
そんな想いがわいてきたのと同時に、
中学生時代、教科書の隅で棒人間が動いていたパラパラ漫画を思い出した。
1コマだけ見ても、この先どうなるのかなんてわからない。
描いた人以外、知りようがない。
あれこれ想像して楽しむことはできるが結局1コマは1コマ。
今ここで生きる一瞬が1コマなのなら、その先は繋げてみなくてはわからない。
過去にたくさんあった『まさか』も、1コマを繋ぎ続けた先の1コマだった。
自分が『まさか』と感じただけで特別な1コマなどではないのだろうが、
やっぱりその1コマが体験できた時は『生きててよかった』と素直に思うわけで。
だから繋いでみるしかない。
これまで繋ぎ続けた自分に感謝をしながら、
結末はどうなってもいいから "つづき" を観に行こう。
いつかこの1コマを懐かしく思い出して笑うんだ。