鍋でお湯を沸かすとき、
鍋の底をぼぉ~~~~~っと見ている時がある。
だんだんと鍋の中が温まってきて、
小さな気泡がふつふつふつふつ…ぽこぽこぽこぽこ。
新しい気泡が鍋底から浮かんでは消え、消えては浮かび。
とめどなく。とめどなく。
それを見ていたら、気泡がなんだか命に見えてきた。
水面で気泡が弾けた途端、そこにあったと認識していた気泡はなくなる。
けれど、その気泡を形作っていた成分もすべて消えたか?
いや、当たり前だが答えはNOで空気中にとけただけ。
意識が命を全うした時もきっと同じ。
命が尽きた途端、そこに居たと認識していた人がいなくなる。
けれど、その命を形作っていた意識もすべて消えたか?
当たり前とは言い切れないが、わたしの答えはNOだ。
じゃぁ何にとけたのか?
すべてのなかにとけた。
そして、すべてのなかに存在しつつ、
フィールドに合った循環のかたちでまた遊んでいたりする。
そう思っているうちに気泡は大きくなってお湯が沸いた。
鍋の底を見ながら底のないお話。
すべてが繋がって今日も平和です。