久しぶりにまとまったお金を見た。
テーブルに置かれた給料袋の上で鎮座するお金たち。
父の給料だろうか。
それを見た瞬間、わたしは萎縮した。
続いて、わたしの頭へ感想を求めたところ、
『こわいこわいこわい』『ごめんなさい』
とのこと。
OMG. (あらまー なんてこったい)
『お金に罪はない。お金を愛しましょう♪』
そんなフレーズをあちこちで聞きまくったけれど、
体験を元にしている頭はなんて素直で正直なのだろう。
自分軸がないまま緊張して過ごした社会人生活10年間。
不安を消すための行動が仕事であり、お金を貯めることだった。
そんな自分の思考パターンに気づいたからこそ、
『不安を行動で埋めない』
と、可愛くもそういう強い思いをバレバレではあるが秘めている。
そんな中、頭は至って普通に『こわい』と叫び『ごめんなさい』を連呼する。
こわいは仕事をすることへの緊張感、ごめんなさいは稼いでいない罪悪感。
なんともシンプル。
頭の感想だけでは不平等&ストレスフルになるので、
続いては心の感想を聞こう。
『お金にまつわる事=しんどい事としての記憶が多過ぎだからねぇ』
『あの時と同じ思いをしたくない。戻りたくない。と思うのもしょうがない』
『わかるわかる』
『我慢してキツかったのは事実だしね~。
でも ”お金” だけを見れば、あったからこそ出来たこともあるよね』
『ずっと贈りたかった両親へ旅行プレゼント、1年半通院した愛猫の介護費、
じいちゃんの葬式で使う最初のお金とかサッと出せて助かった時もあったし』
『こう見れば ”お金自体” は悪いものではないね』
まぁ確かに。お金があったからこそ出来たことも多いな。
仕事をしていた時の頭の状態とお金をくっつけて考えるからしんどくなるのか。
でも、罪悪感は…
『持つ必要なし~』
うーん…
『まぁ、持ちたいなら持ってもいいけれど。
それを持って起こす行動は前と一緒じゃない?』
まぁ確かに…
『じゃぁやめておいたら?笑』
うーん…
『笑』
そんな、頭さんと心さんのオチがありそうでないコントを聞いていると、
不思議と気持ちが落ち着くのだ。
ありがたいショートコントに拍手。ぶらぼー。
たぶん、
自我(頭)は悩みたくても心の本音には太刀打ちできないのだろうな。
記憶を塗り替えていくのはわたししか居ないけれど、
こういう何気ないコントが後でジワジワ効いてくることを知っているのも…
わたしなので自分を信じよう。
よし、落ち着いたので寝るzz