~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

イカからはじまる壮大なストーリー

夕飯時、たまたま観ていたテレビに新鮮なイカが映った。

どうやらプレゼント商品のよう。

生きたままのイカを海水入りの袋に入れて配送するそうだ。

 

テーブルを囲んでいた父と母へ言う。

 

「わたしがイカで配送過程を知っている身だったら、殺してから好きにしてくれって言う。」

 

思い出したように母が言う。

 

「わかるかも。職場でハエとかを捕まえたあと袋の中に入れてそのままにしておく人がいるんだけど、わたしはその場ですぐ殺す。窒息みたいにしてじわじわ殺すほうが可哀想。」

 

父が言う。

 

「オレがレジャーとして釣りをしない理由も似たような理由だからだなぁ。」

 

各々伝えたい内容の細かい部分はそれぞれ違うのだけれど、

この両親でよかったなぁ。と思う点は生き物に対して優しいところだ。

 

ハエを殺すんだから優しくないだろう。

と思う人もいるかもしれないが、逃がすという選択がなかなかできない場所での話なのは一応補足しておく。

家へ入ってきた大抵の虫たちは外へ逃がしている母だ。

ただしムカデ以外に限る。(攻撃してくる相手には容赦しない)

 

釣り(遊漁)に関しては、

わたしも『キャッチ&リリースするから問題ない』とは思えない。

釣り針が刺さる、命をかけて全エネルギーを使う、空気に触れる等はストレス以外の何ものでもないのは事実で、食べないのならやるべきではないと思うからだ。

触るだけでも人間の体温で火傷する魚だっている。

 

つまり、命を殺すな!ではなく、命を弄ぶようなことをすべきではないっていう精神が共通しているのだ。

 

イカのように最後はどうせ食べるじゃん。って場合でも、

その道中でかかる不要なストレスは与えるべきではない。

生き物は死ぬその瞬間の瞬間まで “生きているのだ”

 

いくら袋のなかの海水に大量の酸素を入れているとしても、

発送中の箱の中は誰が考えてもイカが安心できる場所じゃない。

 

その最期の瞬間まで命に敬意と感謝をもって接することは当たり前のことだと思う。

それは人間だけのことじゃないはず。

犬や猫、鳥だと想像しやすい人もいるかな。

 

わたしたちより力の弱いものへ対して敬意と感謝がなくなった果てに、

創造力を忘れて人間を物扱いしてしまう人たちが多くなっている。

 

すべては繋がっている。

地球が枯れる前に、わたしたちの創造力を枯らさないようにしたい。

そんな、イカからはじまる壮大なストーリー。