ご縁に感謝します^^
心屋 仁之助さんのラジオ音声を動画でアップしてくださっている方がいたので、
ここ2日ほど時間がある時に聴いていました。 ♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
ちなみに、まだ仕事をしてて心がかなーりしんどかった時、
心屋さんの仕事がらみの本を読んでめっちゃ泣きました。
その後はそういう本すら読む気力がなくなりましたが(笑)
今は楽しく聴けます(*´ω`*)♪
そんなラジオ音声を聴いている時にフと、
高校の時のダンスビデオ(DVD)を観たくなって久しぶりに視聴。
楽しく懐かしく観終わったあと、
その横に収納していたDVDもこれまたフと観ようと思いました。
タイトルは【ユキコの初節句】です。
ビデオの時もDVDに落とし込んだあとも何度か観てきたものです。
砂嵐のあと、30年前の映像が流れはじめます。
今のわたしと同じか年下の頃の両親の姿。
今は亡き身内、親戚たちの姿。
代わる代わるわたしを抱く人たちの姿。
指1本に何枚もの絆創膏を巻き、わたしにご飯を食べさせている母の姿。
お弁当の焼きエビを手づかみして、殻ごと食べようと試みるわたしを応援する声。
ひな壇の前で笑った写真を撮ろうと、懸命にわたしの名前を呼ぶ今は亡き祖父の声。
瞬きもせず、周りをじっと見ているわたしの姿。
抱っこされたまま安心して眠るわたしの寝顔。
わたしが映るたびに、誰かが抱っこをして誰かが傍にいます。
わたしが映るたびに、父や今は亡き叔父がビデオを片手に動いています。
2時間2分。
昼から暗くなるまで続いたお祝いの映像が続きます。
そして1時間半ぐらいDVDを観たあと、一旦止めてトイレへ行ったんですね。
すっきりして手を洗ってる時に…
『わたし、今ひとりでトイレへ行けて手も洗えて…
30年前は、あんなに誰かがずっと見守っていたのに、
わたし今1人で全部出来てる…』
って、すごい真剣に感動しちゃって 涙がドバーーー!(笑)
コントみたいだけど、心から思ったんですよね。
アシュタールとかが『普通だと思っていることを褒めて~』とかよく言いますが、
なんだろう… 言葉じゃなくて腑に落ちる感じ。
『わたしが今こうやって1人で色々出来るのは、
間違いなく愛があったからだ』って。 そういう確信みたいな。
耳で何度も聴いて頭でわかっていたつもりだったけど、心が頷いた感じ。
小さい頃、色々な環境や色々なことばで傷ついたりしたけど、
(その設定も生まれてくる前に計画したことだったろうけど。笑)
今ちゃんと生きているのは、どんな形であれ
ちゃんと誰かの愛を受けたから。
DVD観ながら、頭のなかをグルグル巡っていた言葉は
『あーあ。愛されちゃってるねぇ(笑) もう観念しちゃいな(笑)』でしたw
愛されていたけど、何かの色んなことのきっかけで傷ついて
『わたしは愛されていない!』ってこじらせてしまった。
それも事実。 でも、それでいい。
だって今、この文章を書けて読めて、31歳まで図々しく♪生きているのは
紛れもなく誰かの愛があった。
と、今ならわかるから。
去年の節分は、自分の心を見つけた日。
今年の節分…より1日過ぎた今日は、周りの愛に深く気づけた日。
感動したトイレのあと(笑)、涙をふいて珈琲を淹れに両親のいる1階へ降りたら、
寝ている両親を見てまた涙がでた。
涙目で珈琲を淹れてから、
寝ている2人のほうへ立ち止まって頭を下げ心のなかで感謝を送った。
ーありがとうー
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さいごまで読んでいただきありがとうございます(*´ω`*)
ではまた♪
あなたに愛と感謝を☆