~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

火遊び

こんなタイトルをつけると情事な感じもするが、

どうしたってわたしのこと。もちろん違う。

 

ではどんな火遊びかといえば、

 

左手に細い枝を持てば右手にはナタ。

左手に太い枝を持てば右手にはノコギリ。

ドラム缶製の炉の中ではゴウゴウと火がうごめく。

 

そう、正真正銘の火遊びであり、自宅庭剪定後の片付けの話である。

 

ただし、剪定は進行中。

横では父がワッセワッセと太い枝やらほぼ根元から木を切っており、

そちらは切れ目なく目の前に運ばれてくる。

 

そのままでは炉に入らないためナタとノコを使って大きさを調整し、

火の勢いを見ながら燃やしていく。というものだ。

 

実はこういう作業をするのは人生で初めて。

 

幼い頃から火を見る機会は多く、扱い方にも興味はあったが、

男女での役割分担が色濃い環境だったこともあり今まで火には近寄りがたかった。

(男は体力仕事や火の管理、女は炊事洗濯などの水仕事…的なね。)

 

剪定前の草刈りをしながら、

「火遊びする?」

と誘ってくれた父。

 

頭の中の燻った価値観はもはや不要そのものだった。

あとは今のわたしがこれを許し、受け入れるだけ。

 

準備~着火から消火まで、父はすべてを教えてくれた。

昼前からあたりが薄暗くなる夕方まで、ずっと燃やし続け、ずっと楽しかった。

元来片付けが好きなこともあるけれど、まだまだ燃やしたい!遊びたい!と思った。

 

幼い頃のわたしから見た父は『怖い人』。

でも、

今のわたしから見る父は『生きる智恵を教えてくれる愛そのものの人』だ。

 

ひきこもりになったからこそ、人の深さや愛がよくわかるようになった。

こんな体験ができるなんてわたしはなんて幸せ者なんだろう。ともよく思う。

 

燃やしきれず、夜の雨にうたれた枝たちを見て、

次の火遊びに期待を膨らませるわたしは幸せな不審者に違いない。